小島慶子 ずっと親のものだった私の人生、やっと、この手に取り戻す/『解縛 しんどい親から自由になる』

エンタメ 「波」2014年3月号掲載

母の呪縛、摂食障害、女子アナとしての挫折。赤裸々に綴られた、著者初の生い立ちの記。

 * * *

娘たちにおくる希望の書/信田さよ子

 同性の親子である母と娘について、ここまで書かれ語られる時代があっただろうか。マスメディアに母娘問題が溢れているさまは、まるでパンドラの箱が開けられたようにも思える。

 女同士だから仲が良くて当然、親子なんだから一時的なケンカか単なるすれ違いに過ぎない。こんなにヒステリックに騒ぐなんてやっぱり女性の世界で起きることは理解できない。多くの男性は、こうして母娘問題を理解不能で無関係なこととして片づけてしまいがちだ。おまけに世間の常識は、母のことを批判しあげつらうことを何よりタブーとする。多くの母娘本は、そんな無関心やタブーへの挑戦を試みる覚悟をもって書かれていることは強調されなければならない。

 本書は、マスメディアでは名前の知られた著者が「初めて書いた生い立ちの手記」としてまとめたものである。母との関係に終始すると思って読みはじめると、いい意味で裏切られる。タイトルとは裏腹に、母娘本というジャンルには収まりきらない射程距離の広さを示しているからだ。著者の鮮明な記憶とともに、日本経済の先兵として海外駐在した多くの駐在員の家庭でどんなことが起きていたかが描かれることで、読者は1980年前後の日本のもうひとつの姿を知ることができる。小学校でのなまなましいいじめの内実、生きていくために摂食障害であることが必要だった女性の姿は、共感を誘わずにはいないだろう。さらに、女子アナという華やかな職業の実態に至っては驚くばかりだ。女性の働く環境の旧態依然ぶりがここまで率直に語られたのは、おそらく初めてではないだろうか。

 最初から最後まで読み物として惹きつけられるのは、著者の自分に対する批判的まなざしの鋭さが随所に光っているからだ。客観性や自己省察のためにそれは欠かせないものであるが、いっぽうで自分を責め苦しめるものでもある。親との関係に苦しむ多くのひとたちは、親の満たされなさに責任を感じさせられ、幼いころから生きる。もっと正しく、もっとやさしく、もっといい子でなければこの家に存在してはいけないという命題は、言語化される前から染みついた否定的批判的まなざしなのだ。

 おそらく著者は、母親から強烈に植え付けられたその批判・否定的命題からわずかながら脱することができたから、本書を書けたのだろう。能天気な一代記ではなく、これからも生きていくために著者は本書を書く必要があったのだ。鋭利な批評的視線は知性の別名でもある。戦略的にそれを活用することで、著者には逞しくマスコミ業界で生きて行ってもらいたいと思う。

 多くの苦しんでいる娘たちのカウンセリングをとおして学んだことがある。母親と距離をとり、呪縛から脱して生きるためには、母親がなぜあのようにしか生きられなかったのかを徹底して探る必要があるということだ。もちろんそこには父との関係も含まれる。母の不幸と満たされなさの正体を、心理的ではなく社会的背景とともに探りそれを言語化すること。一種の母親研究ともいうべき作業なくして、母親と適正な距離をつくることはできないだろう。

 著者の生い立ちの手記は、母親である一人の女性のすぐれた研究にもなっている。それもきわめて文学的に洗練された言葉によってである。母との関係に困り果てて追い詰められた女性たちにとって、本書はひとつの希望の書でもある。できれば男性にも手に取ってもらいたい。家族における夫のふるまいがどれほど妻や子どもの成長に影響を与えるかが、リアルに伝わってくるはずだ。

[評者]信田さよ子(臨床心理士)