「てめえちょっと顔を貸せよ」 やくざ3人組の難癖に石原裕次郎が取った素早すぎる行動
ベストセラー作家とトップスター
令和を生きる多くの人にとって石原慎太郎、裕次郎兄弟はすでに「大物」になってからのイメージが強いかもしれない。恰幅のいい中年男性、つまり「石原都知事」や「七曲署のボス」のイメージである。
しかし二人が世に出た時のイメージは、間違いなく、戦後日本に躍動する「若きスター兄弟」だった。慎太郎氏は1956年、一橋大学在学中、『太陽の季節』で当時最年少の23歳で芥川賞を受賞。同年、裕次郎氏は慎太郎氏原作の『狂った果実』で映画初主演を果たしている。
慎太郎氏の著書『昭和の風雲児』では、若き日の石原兄弟のかなりワイルドなエピソードが語られている。後年、慎太郎氏のほうが「喧嘩っ早い」という印象が広まっていたが、若き日の裕次郎氏の「実力」はなかなかのものだったようだ。兄弟とボクシングをめぐるエピソードを見てみよう(以下、同書から抜粋・引用)。
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その頃はまだボクシングではなくもっぱら拳闘と呼ばれていたが、そんなものを見に行くのは下流の人間だというような通俗的な価値観があり、普通のインテリはあまり足を踏み入れるような場ではなかった。
私はそういうことは気にせずに見に行っていたところ、ある程度名前が売れたころに、会場でスポーツ新聞の記者に出くわした。それで、その日の試合の感想を聞かれて答えていると、「それ、うちにちょっと書いてくれませんか」と依頼をされた。(略)
思うままに、セコンドやレフリーの批判をしたり、また負けた選手の肩を持ってみたりと自由に書いていたら、拳闘界でも評判になっていったため、私はその世界で結構な顔になったのだ。
会場に行って、切符を買うのに並んでいると、切符を売っているやくざが、
「おい、慎太郎さん、こっちこっち、いいよ」
そう言って、そっと入れてくれる。そのままリングサイドで観戦したものである。
やくざの難癖に裕次郎は……
ちなみに私自身にはボクシングをやろうという気持ちはまったくなかった。その種の運動神経はないと思っていたのだ。小学校の頃、転校してすぐに級長になったのがたたって、同級生に待ち伏せされて袋叩きにあった記憶がある。
それと比べると、弟は抜群の運動神経で、けんかが強かった。彼があっという間に日活のキングとなったのも、その腕っぷしが大いに関係している。
裕次郎がデビューして二年後、『明日は明日の風が吹く』という映画のロケーション撮影を馬事公苑でやっていたときの話である。その頃は街にチンピラのようなやくざが多くいて、幅をきかせている時代だった。
ロケ中、四人ほどのチンピラがやって来て、難癖をつけてきた。
「おい、裕次郎、てめえちょっと顔を貸せよ」
裏方たちは、
「裕ちゃん、あんなのチンピラだから気にしないほうがいい。放っておきなよ」
そう宥められ、裕次郎も我慢していた。しかし、チンピラが発した何か失礼な一言がきっかけで、堪忍袋の緒が切れた。
「この野郎」
と立ち上がったまではよかったのだが、足元にある水たまりに足をとられて転び、びしょぬれになってしまった。それを見てまた連中が笑った。
すると立ち上がった弟は彼らのところに突っ込んで行き、あっという間に三人を殴り倒してしまった。あとの一人は腰を抜かしていたところ、胴を蹴りつけたという。
井上梅次(うめつぐ)監督は、その強さに驚いていたという。その場には裏方の他に、先輩にあたる三橋達也らの俳優陣もおり、この一件で弟は一躍日活では有名になった。他の先輩の役者が何か言っても、
「裕ちゃんにはかなわないよ。あんた、けんか売ってごらんよ」
と裏方たちが言うようになった。当時の裏方連中もまた半分やくざのようなものだったので、この暴力行為は弟の勲章の一つとなり、一目置かれるようになったのである。











