重い後遺症、妻との別離、3億円御殿の売却…昭和の大スター「フランク永井」 死の淵から戻った後も続いた苦難「“息をするのも嫌だ”と言っていたことも」
衝撃の自殺未遂から23年後
「有楽町で逢いましょう」「君恋し」などのヒット曲で知られ、1982年までNHK「紅白歌合戦」に26回連続出場。紛れもない昭和の大スターの1人といえば、歌手のフランク永井さんである。そんな永井さんが死去したのは、2008年10月27日のことだった。
訃報を知り、なんとも言えない気持ちに包まれたファンも多かったことだろう。永井さんはすでに第一線から退いていたが、その理由は1985年10月21日未明の自殺未遂。救急車を出動させた消防署の幹部は、当時の「週刊新潮」(同年11月7日号)に「意識、呼吸、脈拍がいずれもなかった」と証言している。
医師たちの尽力により一命を取り留めたが、以前のような歌唱は望めない体となった。それから死去までの23年、永井さんはどのような人生を歩んでいたのか。命日にあたり、「週刊新潮」のバックナンバーで振り返る。
(「週刊新潮」2008年11月13日号「最後に『3億円御殿』まで売り払ったフランク永井 闘病23年」を再編集しました。文中の肩書き等は掲載当時のものです。敬称一部略)
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記憶力の障害など重い後遺症
2008年10月27日、フランク永井が都内の病院で、ひっそり息を引き取った。
「今年の夏、風邪で体調を崩し入院。そのまま回復することなく、肺炎で死亡したそうです。告別式は11月1日、遺族とごく親しい関係者らだけの密葬で行われました」(関係者)
永井が突如、東京・目黒区の自宅で首つり自殺を図ったのは1985年10月。その2年前に紅白の連続出場が途絶えるなど、人気にも陰りが見え始めていた頃だった。
芸能レポーターの梨元勝氏が回想する。
「当時、愛人が永井さんとの間にできたと主張する子供の養育費を要求。それを苦にして、自殺を図ったと言われていました。その一方、後から聞こえてきた話では、その事でシズ子夫人から叱責され、発作的に首を吊ったとの説もあります。結局、自殺の原因は未だにはっきりしません」
夫人に直ぐに発見され、病院へ搬送されたため、一命を取り留めた。が、会話や記憶力の障害など重い後遺症が残ったのである。
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