「やる気!元気!」から20余年…80歳の井脇ノブ子が明かす「ピンクのスーツは“女らしさ”のためじゃない」
「団長は目が後ろにも横にもついとる」
井脇さんには、『先生』のほかに、長年親しまれてきた呼び名がある。『団長』だ。20代から「少年の船」の代表をしていたためだ。船旅や海外交流を通じて子どもたちを育むこの教育活動は、約45年間続き、参加した子どもは延べ約4万5000人にのぼるという。
「一度に何百人もの子を連れて、船で外国へ行ったんだ。それで45年間、一度も事故を出さなかった。子どもたちには“団長は目が後ろにも横にもついとるぞ!”ってよう言われてね。前にいる子を指導しとるのに、後ろにいる子がしている悪さも分かるんだから(笑)」
もちろん、優雅な船旅や、単なる海外旅行ではない。
「集団生活ですよ。みんなで寝起きして生活し、助け合って仲間を作る。人の悲しみも喜びも分かる体験をさせたかった。そういう機会が、いまの学校の中にはなかなかないからね」
親や祖父母たちからの信頼も厚かったという。
「おじいちゃんやおばあちゃんが、“お金を出すから、うちの子を連れて行ってくれ”って頼んでくるぐらいだったんだよ。先生頼むぞ、鍛え直してくれ!ってね(笑)」
教育への情熱はたぎり続けた。「少年の船」と並行して、静岡と和歌山に全寮制の高校を創設。アジア各国から留学生も受け入れてきた。
「モンゴルやインド、ネパール、ブータンの子ども1200人を、高校から大学まで出したんだ。全部自腹だよ。いまは母国で大臣になっとる子もおる」
日本の教え子の中からも何人も国会議員が誕生したという。“小泉チルドレン”ならぬ“井脇チルドレン”というわけだ。一方で、教育に私財を注ぎ込んできた井脇さんの現在の収入は、国民年金が中心だ。それでも暮らしに困らないのは、かつての教え子たちや関係者から、野菜や米などが定期的に届けられるからだという。
47着のピンクスーツは、すべて教え子から
ところで、国会で目立っていたあの「ピンクのスーツ」は、女性の政治家であることをアピールするための“戦略”だったのだろうか。そう尋ねると、井脇さんは「そうじゃない」と首を振る。
「少年の船で、100人ぐらいの子どもを連れて世界を回ったとき、日本の象徴として“桜の色”を着たのが始まりなんだ。桜は大和魂だからね」
ピンクのスーツは「桜の色」「日本の象徴」だった――井脇さんの手元には現在もピンクのスーツが47着あり、すべて教え子たちからの贈り物だという。桜のレースをあしらった一着もある。取材当日に着用していたスーツは貝ボタンが使われ、見るからに仕立てがよさそうだ。
「子どもたちが費用を出し合って、オーダーメイドで作ってくれたんだよ」
そう言って、うれしそうに笑った。
いま井脇さんは、かつて選挙を支えてくれた女性の家で二人暮らしをしている。介護が必要な彼女のため、食事の世話から掃除、洗濯までを一手に引き受ける。合間には新聞に目を通して世界情勢を追い、夜の7時から11時は政治の勉強に充てるという。趣味の絵筆も手放さず、カナダのロッキー山脈や故郷の島を描いた作品を見せてくれた。
2019年には、胆石による胆のう炎のため演説中に倒れ、生死の境をさまよったことも。しかし、いまは驚くほど元気だ。政界に戻るつもりはない。それでも、政界関係者や教育関係者、元教え子たちが、今も知見を求めて井脇さんのもとを訪れる。井脇さんは相談料などを一切受け取らずに応じている。
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