「小中学校の友人なんて大事にしないでいい!」…子どもたちに改めて伝えたい「イヤな奴と仲良くすることは無意味」「そもそも大人になったら会わない」
嫌われても構わない
さて、以前より状況が深刻になっているからこそ、改めて問題提起をしたわけだが、ここで現在53歳の筆者の小中学校時代の友人との関係性についてお話ししよう。小中学校の友人で会ったのは、この10年間で女性の同級生1人だけである。元々我々は近所に住んでおり、両親同士の仲も良かったし、彼女の両親は私のことをかわいがってくれていた。
9年前に記事を書いた直後、自分自身の小中学校で仲が良かった人のことを思い出し、フェイスブックで検索したところ、滅多にない苗字のためすぐに発見。どうやらタイ・バンコクに娘と2人で住んでいるようだった。奇しくも私はその年の年末にバンコク旅行へ行くことになっていたため、妻とともに彼女と会うことに。その後2019年、2023年にもバンコクで対面を果たした。2024年に彼女は日本に帰国し、その後に東京・渋谷でサシ飲みをした。これからもこんな関係は続くだろう。
生まれてからずっと我々はいとこのような感覚で接してきたため、こうなったのだが、彼女以外に親しい小中学校の友人はいない。林先生の番組で示されたように、小中学校時代の多くの友人は、その後の人生で滅多に会わないのである。だからこそ、現在いじめに悩む我が子を持つ親御さんは、「小中学校の友人なんて後になれば意味はない。大事にしないでいい。嫌われても構わないからね。私が味方にいる」と伝えてあげてほしいのである。
もちろん、敢えて嫌われ者になれ、と言ってるわけではない。不快な目に遭わせる同級生や、暴力行為をしたり罵声を浴びせる者に対し、敬意を持つ必要はない、ということである。いじめる側やことなかれ主義の教師は「いじめられる側にも問題がある」と事態を歪曲化しようとするだろうが、それは誤り。いじめる側に問題があるのだ。小中学校のいじめは、「キモい」「暗い」「ダサい」「クサい」といった、相手への偏見で始まり、あくまでもいじめる側の主観でいじめる対象を選別しているのである。
こんな理不尽なことがあろうか! だからこそ、「今に見ておれ」との気持ちを常に抱き、大人になった時にいじめた側の没落を願い、自らは成功への道をひた走ればいいのである。高校に入ればさすがに分別はついてくるから理不尽ないじめは減っていくし、その頃には防衛手段は身についている。とにかく小中学校の9年間をなんとか乗り切ってほしいのだ。
いじめっ子は「哀れな動物」扱いを
子どもにとっては学校が世界のすべてだが、大人になると「なんて狭い世界だったんだ」と思うこと必至である。海外の動画で、いじめられっ子だった人物が格闘技の鍛錬をし、大人になった後いじめっ子とリングの上で格闘技の対戦をし、ボコボコにするというものがある。いじめっ子は完敗の表情を浮かべ、かつてのいじめられっ子は、過去の恨みを述べることなく大人な対応で試合を終える。理想はコレである。このいじめられっ子は人生の辛さと悲しさを知ったからこそ、こんな大人な対応ができるのである。
もちろん、格闘技にこだわらないでいい。裕福な生活をし、社会的立場も立派になることが最大の復讐である。ひょんなことからあなたの活躍をいじめっ子は知ることもあるかもしれないし、同窓会で相手が屈辱を覚えることもあり得る。だから、いじめっ子のことは「哀れな動物」扱いをし、自らの人生を切り拓いていくのが大事である。そのためには、小中学校の友達を大事にする必要はない。これはあれから9年経っても変わらず主張したいことだ。とにかく将来ある子どもたちには自殺はしないでほしい。




