「2年間の勤務で漁船搬送は25件」「初めての急患を救ってくれた看護師さん」――過酷な離島医療の経験から「持続可能なへき地医療」実践を目指す医師の奮闘

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 全国で人口減少と過疎化が進む中、本土と海で隔てられた離島の医療が危機に瀕している。本州で最も多い21の有人離島を抱える山口県はまさにその課題先進地であり、医師の平均年齢も53.3歳と全国で2番目に高い。長年、地域を支えてきた高齢医師のリタイアが相次ぐ一方で若手医師の後継者確保が難しく、医師の偏在や働き方改革の影響も相まって、これまでの医療提供体制を維持することが極めて困難になっている。 「離島医療」が直面している危機的状況こそ日本の「地域医療」の未来図そのものだ。山口県立総合医療センターへき地医療支援センター長の原田昌範氏に、オンライン診療やグループ診療を軸とした同県における地域医療体制について聞いた。

原点となった離島勤務での熱烈な歓迎と初めての試練

 山口県の離島ではこの10年で診療所の基準人口である300人を下回る島が続出し、常勤の医師を配置することができず、非常勤の医師が定期的に巡回する「巡回診療」への移行や診療所の縮小を余儀なくされている。医療資源が限られている上、対応するエリアも広く、さらに悪天候時には交通手段が絶たれるという過酷な環境の中、いかにして持続可能な地域医療体制を整備していくか。これは離島のみならず、将来的に同様の課題に直面する日本全国の過疎地域にとっても喫緊の課題だ。

 山口県立総合医療センターへき地医療支援センター長の原田昌範氏は、この課題先進地において、オンライン診療やグループ診療を組み合わせた地域医療体制の整備に尽力している。

 原田氏は小学5年生の時、NHK大河ドラマ『いのち』(1986年放送)を見て医師を志した。青森県を主な舞台として、三田佳子演じる女性医師が激動の時代を生き抜き、使命感に燃えて離島の診療所へと赴任していく姿に衝撃を受けたという。これを機に勉学に励んだ原田氏はその後、自治医科大学を卒業、9年間の義務年限の最終年のタイミングで念願の離島勤務が決まった。

 赴任したのは、当時人口約900人の大島(萩市)。明治時代から親子2代にわたって医師が島民の命を守り続けてきた歴史があり、島にとって「医師の確保」は文字通り死活問題だった。原田氏はそのことを上陸時から実感したそうだ。

「島に着いた日、フェリー乗り場に赤白の横断幕が掲げられ、島民の皆さんが集まって大歓迎してくれたことに驚きました。その様子がテレビで1週間毎日放送されたほどの歓待ぶりで、その裏にある島民からの大きな期待と、命を預かる責任の重さを痛感しましたね」

 大島では医師1人、看護師2人、事務員1人の体制だった。24時間365日、島民の健康と生活を守るために幅広い疾患に対応するのはもちろん、時には救急患者を漁船で本土の病院へ搬送することもあった。2年間の勤務で漁船搬送は25件に上り、月に1回以上のペースで緊急事態に対応していたという。

 赴任して間もない頃に直面した初めての急患は、てんかん重積発作を起こした3歳の子どもだった。母親がけいれんの止まらない我が子を抱きかかえて診療所に駆け込んできたのだ。

「初めての急患で、しかも3歳の小さな子どもです。頭が真っ白になりました。どうしたらいいか分からなくなりそうな中、私を救ってくれたのは看護師さんでした」

 島で経験を積んできた看護師の的確なサポートのおかげで、原田氏は冷静さを取り戻し、無事に子どもの命を救うことができた。

「この時の経験から、医療は医者が1人でやるものではない、看護師さんとの連携、つまりチーム医療が不可欠なのだと強く実感しました。これが、現在の遠隔医療の取り組みにもつながる私の原点です」

 と原田氏は語る。

離島医療を持続可能なものにするための仕組み作り

 大島での2年間を終えた原田氏は、2011年に山口県立総合医療センターへき地医療支援部に着任した。離島での経験から「島の医療体制を持続可能なものにするための仕組みが必要だ」と強く感じていた原田氏は、その仕組み作りと後進の育成に着手する。

 当時、義務年限を終えた若手医師が離島・へき地医療に携わりたいと思っても、臨床経験が不足していることやキャリア形成上の不安、指導医の不在、そして生活環境の大きな変化などいくつものハードルがあって現実的ではなかった。そこで原田氏は山口県の「ドクタープール制度」の第1号として、市中病院である県立総合医療センターに身を置きながら、離島・へき地の支援を継続できる仕組みを構築した。外部の公的医療機関等から資金を得て人員を確保し、専門的なトレーニングを受ける若手医師らがチームで離島・へき地の休日夜間診療などに携われるようにしたのである。

「後輩たちが1人で責任を抱え込んで心身をすり減らす『パニックゾーン』に陥るのではなく、適度な負荷で成長できる『ストレッチゾーン』にいられるよう、サポート体制を整えることが必須だと考えたんです」

 と原田氏は当時の思いを語る。このチーム医療を支える重要なインフラとして、原田氏は早い段階からクラウド型の電子カルテの導入を進めた。当初は離島・へき地の診療所と拠点病院間でリアルタイムに診療情報を共有し、カンファレンスを行うことを目的としていたが、この情報共有の基盤が、オンライン診療を導入する際の強力な武器となったのだ。

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新潮QUEで配信中の「離島の医療危機は人口減時代の日本の未来図だった――オンライン診療の最前線」では原田氏が実体験をもとに推進した「D to P with N」という遠隔診療のスタイルや、目指す「面としての医療体制」について詳報している。

デイリー新潮編集部

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