「弱い子をイジメるガキ大将に『やめなさい』と諭し…」 硤合憲三氏の素顔を同級生が明かす 「トンボを眺めて『なぜ、コイツは止まっているんじゃろ』と観察」
「次々にアイデアが湧く先生は、常に研究のことを考えている」
日本人のノーベル化学賞受賞は2年連続、10人目の快挙となる。昨年の北川進氏に次いで栄誉に輝くことが決まった、東京理科大学名誉教授の硤合憲三(そあいけんそう)氏(76)。知られざるユニークな人柄について、かつての共同研究者が明かした。
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希代の科学者である硤合氏とは、いったいどんな人物なのか。
「硤合先生は研究ひと筋です。プライベートの話や雑談は、全くと言っていいほどされません」
と語るのは、早稲田大学先進理工学部化学・生命化学科教授の柴田高範氏だ。1995年に「ネイチャー」誌に掲載された、硤合反応の原点とされる論文の共同研究者でもある。
「当時、私は東京理科大で硤合研究室の助手を務めていました。95年の春から夏にかけて怒濤の勢いで実験を重ね、同年末に『ネイチャー』への論文掲載が決まったのです。祝杯を挙げようと、硤合先生をはじめ、研究メンバー全員の4人が集まり、大学がある神楽坂のイタリアンレストランで食事会を開催しました」(同)
会場となったのは、硤合氏が行きつけの店だったという。ワインを酌み交わし、人生談義に花を咲かせるなど、束の間の休息を楽しんだかと思いきや、
「お酒が入ると、硤合先生は『次はこんなことをやろう。あんなこともやってみよう』と、実験の話が止まらなくなった。最後は皆で、ディスカッションをしていたのを覚えています。どんな場でも次々にアイデアが湧く先生は、常に研究のことを考えていらっしゃいました」(同)
「珍しい“硤合”という名字が本に載ったことを面白がっていた」
もっとも、そんな硤合氏が唯一、研究以外の私生活に関する話題を口にしたことがあったという。
「私がまだ硤合研究室に所属していた90年代後半のことです。おそらく、珍しい名字を取り上げる『珍名辞典』という本だったと思うのですが、そこに“硤合”が掲載されているのを初めて見たそうです。先生は『柴田くん、見て。僕、載ったよ』と、うれしそうにそのページを開いてくれました」(同)
ジーッとトンボを眺めて「なぜ、コイツは止まっているんじゃろ」
硤合氏は広島県安芸郡出身。幼少期を地元で過ごし、名家の子女が集うことで知られる広島大学附属小学校に入学。同附属高校まで内部進学した。
子どもの頃には、すでに科学者の片鱗を見せていたそうで、小学校から高校まで同窓だった大森博美氏はこう証言する。
「虫を採りにいったときのことでした。僕らがワーッと走り回っている横で、硤合は『なぜ、コイツは止まっているんじゃろ』なんて言いながら、ジーッとトンボを眺めていました。今から思えば、観察をしていたのでしょう。われわれとは視点が違うんです」
ただし、いわゆる“ガリ勉”ではなく、正義感の強い少年だったという。
「曲がったことが大嫌いでした。ガキ大将が弱い子をいじめていたときには、庇っていましたから。決して体を張ってケンカするのではなく、理論整然と『やめなさい』と諭す感じだった。いじめっ子を止めていた姿が、おぼろげに記憶に残っています」(同)
10月15日発売の「週刊新潮」では、硤合氏をよく知る人物たちが明かす、若手スタッフを大切にする彼の温かな心遣いや、「オンリーワンともいえる能力」などについて、より詳しく報じる。









