『風、薫る』『豊臣兄弟!』にも登場した言葉「させていただく」は…“自分の意志なのに他人に責任転嫁する”日本衰退の象徴

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日本人の責任意識が希薄であることの一因

 一方、自分の意志で休むのに「休ませていただきます」と表現するのは、「適切だとはいえない」。だれかの許可を得たわけではないのに、責任を第三者に預けてしまっているようにも聞こえる。同様に、自分の意志でSNSに投稿するのに、「書かせていただきます」と書くのもおかしいし、歌手がコンサートで自分が選んだ曲を歌うとき、「歌わせていただきます」と断るのも違和感がある。

 テレビで俳優がドラマの役について「演じさせていただき」と語るのも、視聴者が許可しているのではないのだから不自然であり、司会者が「司会を務めさせていただく〇〇です」と自己紹介するのも、司会を依頼した人に向けて喋っているのでないかぎり、適切とは言えない。最近では、スポーツ選手がメダルを獲得した際、「メダルを獲らせていただき」と語ることも珍しくないが、自分の力で獲得しているのだから、どうにも不自然な表現である。

 ちなみに、筆者は正直にいえば、「適切だとは言えない場合」の「させていただきます」が大嫌いである。若者に尋ねると、「『させていただきます』と言わないと、相手に失礼な気がしてしまう」という答えが返る。どうやら世間の常識は、この若者の返答に近づいてしまっている。しかし、自分の意志で決め、自分の意志で行うことなのに、相手の意志にゆだねるかのように「させていただく」と表現することには、大いなる危うさを感じる。話者は無自覚であるにせよ、言葉の上では、自分で責任をとらず、責任を第三者に投げることにつながっているからである。

 日本人の責任意識が、欧米など諸外国にくらべて希薄だと指摘されることがある。「させていただきます」という表現の氾濫は、その象徴ではないだろうか。知らず知らずのうちに責任を他者に預けようとする傾向が、日本人のあいだで助長されているとしたら、この言葉遣いに一因があるようにさえ感じる。

明らかに使い方がおかしいドラマの2例

 さて、冒頭で紹介した二つの事例を、ここまでの考察を踏まえて再検討してみたい。

 最初に、『風、薫る』で多江が言った「それは婦長の私が拝読して決めさせていただきます」である。多江は仮にも婦長で、わざわざ自分から「婦長の私」と強調している。そのように責任ある立場の人間が、自分の意志で(りんの著書を)購入するかどうか決めるのだから、相手の許可を得ているかのように「決めさせていただきます」と表現するのは、明らかにおかしい。「決めます」で十分であり、それではつっけんどんだと感じるなら、「決めたいと思います」、あるいは「決めましょう」などと若干の婉曲表現にすればいい。

 続いて、『豊臣兄弟!』で蜂須賀正勝が秀吉に向かって言った、「拙者は隠居させていただきとうございまする」。秀吉が阿波一国をあたえるというのに、正勝は拒んで隠居を申し出た。主君に許可を求める表現としては理解できる。だが、この場面で筆者が聞きたかったのは、「隠居しとうございまする」「隠居いたしとうございまする」という、みずからの意志を端的に示す言葉である。

 主従関係が厳重だったあの時代、自分の責任で言い出したことを、「隠居させていただき」と、主君が許可した案件であるかのように表現すれば、主君に喧嘩を売っているようにさえ聞こえたのではないだろうか。

 今日、明治時代はおろか、戦国時代の人物のセリフにまで、適切ではない「させていただく」が波及し、浸透している。しかし、日本人が主体性を取り戻すためにも、この氾濫に対し、もっと敏感になったほうがいいと思うのだが。

香原斗志(かはら・とし)
音楽評論家・歴史評論家。神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。音楽、美術、建築などヨーロッパ文化にも精通し、オペラを中心としたクラシック音楽の評論活動を行うほか、歴史的な視点を応用し、経済から文化まで現代のさまざまな社会状況にも言及。著書に『カラー版 東京で見つける江戸』『教養としての日本の城』(ともに平凡社新書)『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)など。

デイリー新潮編集部

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