「春の海ひねもすのたりのたりかな」――日本人にもっとも愛された名句の魅力を、人気俳人が解説

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「春の海 終日(ひねもす)のたり のたりかな」――俳句に詳しくない人でも、どこかで見たり、聞いたりしたことがあるのではないか。日本人にもっとも愛された名句の一つと言って良いだろう。これは松尾芭蕉、小林一茶にならぶ「江戸時代の三大俳人」のひとり、与謝蕪村の代表的な句である。

 俳人の黛まどか氏は、新刊『蕪村 「日常の美」の発見者』で、この名句の魅力と誕生の背景について詳しく解説する。以下、同書から一部を再編集して紹介しよう。

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 蕪村の句で最も知られた一句は「菜の花や月は東に日は西に」だろう。では、最も愛誦されている句はと言えば、「春の海 終日(ひねもす)のたり のたりかな」ではないかと思う。毎年春に海を目にすると、この句が口をついて出るという声をよく聞く。「のたりのたり」の擬態語が、駘蕩(たいとう)たる春の海と長閑(のどか)な気分を見事に捉えている。海と人、万物を貫く春の胎動だ。

 掲句を詠んだのは宝暦12(1762)年、数えで47歳の頃。蕪村にとっての生業は生涯絵画にあった。生活に必要な収入は絵を描くことで得ていたのだ。その結果俳諧は初めは余技に過ぎなかった。が、やがて余技を超えたものとなっていく。絵画と俳諧は“蕪村”を形作る上で二本柱となったのだ。

 蕪村が本格的に俳諧に身を入れるようになったのは五十代に入ってから。明和3(1766)年に蕪村を中心とした「三菓社」句会が結成された後のことだ。第1回の句会は同6月、鉄僧(医師・雨森章迪の俳号)宅の大来堂で行われ、蕪村、太祇、召波、印南、百墨(自笑)、竹洞、峨眉、鉄僧、の八人が集った。代表的な名句のほとんどが明和3年以降に詠まれている。“遅咲きの俳人”と言われる所以(ゆえん)だ。

 三菓社句会結成から3か月後の9月、蕪村は画業のため讃岐へ赴く。そして明和5年讃岐から帰ると三菓社句会を再開させる。作句が急激に増えるのはこの頃だ。

 ところで、芭蕉亡き後の俳壇は、江戸の宝井其角をはじめとする「洒落風」の俳諧が主流だった。洒落風とは新奇な趣向により、頓知や機知を利かせたものだ。洒落風の言語遊戯が主流だった江戸で俳諧に出会った蕪村もまた初めの頃は江戸風を専らとしていた。

 俳句はやってくるものだ。“成す”のではなく“成る”と言い換えることもできる。蕪村の俳句を見ていると、前半は機知や故事来歴を駆使した“成す”俳句が多い。ところが五十代に入ると、“成る”俳句が増えてくる。「春の海」はまさに“やってきた”もので、蕪村俳句の萌芽である。開眼の一句と言っていいだろう。実際蕪村自身もこの句には手応えを感じていたようだ。

 俳人で文人の三宅嘯山は元禄期俳諧への回帰を唱えて『俳諧古選』を刊行。その中で蕪村の「春の海」の句を「平淡ニシテ逸」と称賛している。

 同じく「春の海」をテーマにした蕪村の吟の中から“成す”俳句を見てみよう。
 
 なのはなや 昼一(ひと)しきり 海の音
 
 構造は似ているが、この句が「なのはな」「昼一しきり」「海の音」と要素を多く詰め込んでいるのに対し、「春の海」は「のたりのたり」が一句を占め伸びやかである。「のたりのたり」は擬態語でありながら波音をも響かせ、少ない構成要素で空間・時間・音を喚起させる見事な腕前だ。「平淡」な措辞が内容を“密”にする。

 因みにこの海は、丹後とも須磨の浦とも言われてきた。丹後であれば波間に母への思慕が揺曳するし、須磨の浦であれば『源氏物語』をはじめ数々の古典文学が重層的に横たわる。

 須磨の浦説は、安永2(1773)年刊の『俳諧金花伝』に「須磨の浦にて」と前書が付いていることに拠るが、蕪村が須磨を経由して讃岐へ向かったのは明和3(1766)年のこと。初出は宝暦13(1763)年刊の『俳諧古選』なので、宝暦13年以前に詠まれていることがわかる。であれば、須磨の浦ではなく宝暦4年~7年にかけて滞在した丹後の海を回想して詠んだのだろう。しかし、実際にどこの海かはさほど重要ではない。本質は「春」の海にある。

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※本記事は、黛まどか『蕪村 「日常の美」の発見者』(新潮選書)の一部を再編集したものです(ウェブ上で読みやすさを考慮して、一部表記を改めています)。

黛まどか(まゆずみ・まどか)
俳人。神奈川県生まれ。「B面の夏」50句で第40回角川俳句賞奨励賞。スペイン・サンティアゴ巡礼道、韓国プサン―ソウル、四国遍路八十八ヶ所などを踏破。「歩いて詠む・歩いて書く」ことをライフワークとしている。句集『北落師門』、随筆『暮らしの中の二十四節気』『私の同行二人』など著書多数。

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