与謝蕪村「菜の花や 月は東に 日は西に」――これって本当に名句なの? プロが教える「納得の理由」
学校の授業で、江戸時代の俳人である「与謝蕪村(ぶそん)」の名前と、その代表作「菜の花や月は東に日は西に」を習ったという人は多いでしょう。しかし、なぜこの句が歴史に残る名句とされているのか、その理由を教わった人はどのぐらいいるでしょうか?
俳人の黛まどかさんは、新刊『蕪村 「日常の美」の発見者』で、「菜の花や月は東に日は西に」が名句であると断言し、その理由を説明しています。同書から一部を再編集して紹介します。
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近年、与謝蕪村への関心の高まりは、ブームと言えるほどだ。多くの美術館で蕪村展が開かれ、どの展示にも長蛇の列が出来る。
しかし俳句(俳諧)は展覧会の主役ではないので、蕪村の俳句となると案外よく知られていないのではないか。もっとも本業は絵師で、俳諧は余技という自覚があったようだが。一流の絵師であり俳諧師であった蕪村は、まさに「二刀流」を地で行く人だった。
絵師として鍛え上げた観察眼と写生力、職人技とも言える卓越した言語表現により、多様で洗練された俳諧を次々に詠んだ。
二百数十年の時を経てなお蕪村の句を読む度に、俳句でこんなことも詠めるのかと驚かされる。一幅の絵を見るような叙景句、浪漫性溢れる叙情句、王朝趣味、ドラマ仕立て、諧謔……と、とにかく作風の幅が広いのだ。蕪村によって俳句の可能性は大いに広げられたと言っても過言ではない。
さて、最も人口に膾炙(かいしゃ)した蕪村の一句と言えば、やはり、「菜の花や月は東に日は西に」だろう。蕪村を知らない人でも、俳句を詠まない人でも知っている。
しかしいざ感想を訊くと、「月が東にあって、日が西にあるってそのまんまじゃない?」「これで名句なの?」という感じだ。
蕪村の名誉のためにも断言するが、これは名句だ。当たり前のことを当たり前で終わらせず、詩に昇華させるのが真の力量だからだ。掲句には絵師・俳諧師蕪村の力量が存分に発揮されている。
まず景が大きい。そして色彩が鮮やかだ。晩春の夕暮、茫洋たる菜の花畑に佇(たたず)み、東を見れば白い月が、西の空には金色の落日がある。そのあわいにある菜の花と蕪村は、太陽と月の運行によって生かされている万物の象徴だ。空も大地も菜の花色に染まり、一句を占める。
掲句は、安永3(1774)年、数えで59歳の作。実は掲句、前年より京に滞在し蕪村宅を訪ねてきた伊勢の三浦樗良(ちょら)と几董(きとう)の3人で歌仙「菜の花や」を巻いた折の発句だ。
菜の花や 月は東に 日は西に(蕪村)
山もと遠く鷺かすみ行(ゆく)(樗良)
渉し舟酒債(さかて)貧しく春くれて(几董)
この時代、俳諧師はいつも一人で発句を詠んでいたわけではない。誰かが訪ねて来れば句座を囲み、人が集えば句座を囲んで連句(歌仙・百韻など)を巻いた。この日3人は昼と夜で二巻歌仙を巻いている。春興に乗った三人の息遣いまでもが感じ取れるようだ。
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※本記事は、黛まどか『蕪村 「日常の美」の発見者』(新潮選書)の一部を再編集したものです(ウェブ上で読みやすさを考慮して、一部表記を改めています)。











