67歳で孫ほど若い娘にベタ惚れ 「老いらくの恋」に溺れた俳人が詠んだ名句とは

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 与謝蕪村(ぶそん)と言えば、教科書にも載っている「江戸時代の三大俳人」の一人です。基本的には愛妻家だったそうですが、60歳を過ぎてから、孫ほど年の離れた芸妓に夢中になったことがあるといいます。

 はたして、その「老いらく恋」の最中、蕪村はどのような俳句を詠んだのか。俳人の黛まどかさんの新刊『蕪村 「日常の美」の発見者』から、一部を再編集して紹介します。

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パトロンの金で逢瀬を重ねる

 蕪村は京で何度か転居しているが、いずれも四条烏丸近辺だ。自宅から四条通りを東へ行けば鴨川に突き当たる。橋を渡って芝居小屋の前を通り過ぎ、さらに少し東へ歩を進めれば祇園町がある。

 祇園町は享保17(1732)年に遊里として奉行所に認可され島原と並んで京で有数の花街となっていた。蕪村には贔屓(ひいき)の芸妓がいた。美人の誉れ高い“小糸(こいと)”である。

 時には小糸らを伴って芝居へいくこともあった。むろん町絵師の蕪村に祇園へ通う経済力はない。遊興の座を提供するのは夜半亭一門の寺村百池や汲古堂(きゅうこどう)(版元)の主人田中庄兵衛(佳棠:かとう)らだった。彼らは蕪村の生活や活動を支えるパトロンも兼ねていた。
 
 老(おい)が恋 わすれんとすれば しぐれかな
 
 安永3(1774)年、59歳での作。小糸のことが書簡に散見するのは安永8(1779)年、蕪村64歳の頃であり、掲句は「しぐれ」を題に句座を囲んだ際の句だが、老いらくの恋心の埋火(うずみび)は既にあったようだ。その頃の蕪村は恋を楽しんだが、恋に溺れることはなかった。日常においてそうであったように、恋においても中庸の人であった。

 しかし小糸の場合は違った。祇園に身を置く小糸との逢瀬は、百池や佳棠の資金援助を受けなければ叶わない。逢いたさが募ってパトロンの2人に書簡でしきりに催促する始末だ。五十歳近く年下の小糸を寵愛する様子は、やがて門人たちの目に余るものになっていく。

恋を匂わせる俳句を量産

 夜半亭の門人で儒学者の道立(どうりゅう)は蕪村に諫言した一人。道立宛の書簡が残る(安永9年4月25日付)。「小糸が情も今日限に候」(小糸への情も今日限りにする)と返信した蕪村だったが、この一件のお蔭で良い句を得たと追記する。
 
 妹(いも)が垣ね 三味線草の 花咲ぬ
 
 「妹」は恋人、つまり小糸のこと。恋しい人に逢えないので垣根に三味線草が咲く家の周りをうろついているという。三味線草は薺(なずな)の別名。薺ではなく三味線草を用いて芸妓小糸の影を重ねる。また掲句は芭蕉の「よく見れば薺花咲く垣根かな」を本歌取りする。

「これ、泥に入て玉を拾ふたる心地ニ候」と嘯(うそぶ)く蕪村だ。反省するどころか開き直っている。案の定その後も小糸との付き合いは続いた。安永9年は恋を匂わせる句を量産している。
 
 誰(たが)ための 低きまくらぞ 春の暮
 
 低い枕は男性用の括り枕のこと。春の夕暮、閨(ねや)に置かれた括り枕を溜息まじりに眺めながら、思い人の訪れを待つ女性を詠んでいる。
 
 ゆくはるや 同車の君の ささめごと
 
 牛車に同乗する“君”が耳元で囁く。牛車、ゆく春、ささめごとと道具立てを揃えて王朝浪漫溢れる世界を演出する。
 
 匂ひ有(ある) きぬもたたまず 春の暮
 
 脱いだ着物には炷(た)きしめた香のかおりがする。しばらくは畳まずにそのままにして春の夕暮れを過ごす。「匂ひ有きぬ」は移り香かもしれない。いずれにせよ艶冶(えんや)な一句だ。

老いらくの恋の現実

 燃立て 皃(かほ)はづかしき 蚊やり哉
 
 夏の夜、若い男女が顔を寄せて仲睦まじく語り合っている。突如蚊やり火が燃え立った。その瞬間顔を照らされて、俄(にわ)かに恥ずかしさを覚えたのだ。

 小糸の存在は、老年となった蕪村の恋の埋火を燃え立たせた。同時に己の老いを実感せずにはいられなかった蕪村である。
 
 葛水に うつらでうれし 老が皃(かほ)
 
 葛水とは葛粉を冷水で溶き砂糖を加えた夏の飲み物。白く濁っているので、水鏡のように自分の顔を映すことはない。老醜を見ずに済むのは嬉しいことだと言う。
 
 うぐひすや 老がひが耳 なかりけり
 
 天明2(1782)年の67歳の作。年を取ってすっかり耳が遠くなり聞き違いが多くなった私だが、うぐいすの初音はしっかりと聞こえたことだ。
 
 若草に 根をわすれたる 柳かな
 
 同じく天明2年の作。若草は若い女性(小糸)、柳は蕪村自身。若草に見とれているうちに、自分の性根をすっかり忘れ風に吹かれている柳だ。

 老いぼれの自分が孫ほど年の違う美妓にのぼせ上がっているという事実を蕪村は覚(さと)っている。自覚はあっても熱情を抑えることができないのだ。

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※本記事は、黛まどか『蕪村 「日常の美」の発見者』(新潮選書)の一部を再編集したものです(ウェブ上で読みやすさを考慮して、一部表記を改めています)。

黛まどか(まゆずみ・まどか)
俳人。神奈川県生まれ。「B面の夏」50句で第40回角川俳句賞奨励賞。スペイン・サンティアゴ巡礼道、韓国プサン―ソウル、四国遍路八十八ヶ所などを踏破。「歩いて詠む・歩いて書く」ことをライフワークとしている。句集『北落師門』、随筆『暮らしの中の二十四節気』『私の同行二人』など著書多数。

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