「会社は俺を評価していない!」の不満をAIが劇的に減らしてくれる
人事はいつも不満のもと
高市早苗首相(自民党総裁)の人事への注目度の高さを持ち出すまでもなく、人事というのは多くの社会人にとっては大問題であり、最大の関心事の一つである。そして、多くの人が、自分に関する人事について何らかの不満を抱えている。
「会社は本当に俺のことをよくわかっている」としみじみと語る人には滅多にお目にかかれない。逆に「会社は俺を理解していない!」という人を見つけるのは容易である。
しかしそんな状況もまた、AIの出現によって激変する可能性がある。そう語るのは、 ネットビジネスの黎明期から数々のメガヒットやV字回復を牽引してきた起業家・投資家の川崎裕一氏だ。
AIが人事や査定を司る――ともすれば暗黒の未来のようでもあるが、川崎氏によれば、むしろ公平な人事制度が実現する可能性があるのだという。ただし、そのためには注意すべき点もあるようだ。
川崎氏が情報・教養サイト「新潮QUE」に寄稿した「AIで「評価制度」は初めて完成する それでも人間にしかできない「評価」とは」(身もフタもないAI論第3回)をもとに、「AI人事」の実力と課題を見てみよう(同連載から抜粋、再構成しました)。
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「彼は半年前、何をやったんだっけ?」
はてな、ミクシィ、そしてスマートニュースで、私は評価制度を運用する側にいた。半期評価の会議に座り、等級テーブルを引き、目標設定の面談をした。その実務のなかで、私は同じ場面に何度も出くわした。評価会議の席で、評価する側もされる側も、半年前の仕事を覚えていないのである。資料をめくりながら記憶を掘り起こし、ようやく思い出した仕事について、当人がぽつりと言う。あれは、いま思えばあまり価値がなかったですね――。半年前に全力で走った仕事が、半年後の会議室では誰の記憶にも残っていない。それでも給料の改定は年に1回、通期評価でしか行われない。
スタートアップは変化が速い。事業が変わり、組織が変わり、サービスを使うユーザーが変わる。その変化のなかで、評価だけが半期と通期という暦のリズムで動く。実際の仕事と評価のあいだのギャップは、開く一方だった。
等級テーブルにも同じ構造の問題があった。営業、マーケティング、開発、経営企画。職種ごとに等級を細かく設ければ、働く側は良いことずくめのように感じられる。キャリアの道筋が見え、評価への納得が生まれ、どうすれば昇進し報酬が上がるかがわかる。細かく丁寧な評価は公平さにつながる、というのは論理的には正しい。
だが細かくすればするほど、評価者の負担は膨れ上がる。突き詰めれば人事部が破綻する。細かくしたいが、細かくできない。この矛盾を、私はずっと抱えていた。
理想はわかっていた。評価は半期ごとではなく、仕事の実態に合わせて行うべきである。等級は職種ごとに細かく設計すべきである。
できなかった理由の核心はひとつだ。人のリソースが足りず、人の認知に限界があったからだ。
評価制度への不満の正体は、制度の思想の欠陥ではなく、実装の欠陥である。理想の設計図は70年前からあったのに、それを動かす計算資源が人間の頭しかなかった。
いま起きているのは、この計算資源の制約が外れるという変化だ。
AIは過去を忘れない
組織にデータが蓄積されていれば、AIは適切なタイミングで評価の材料を出せる。実際の行動を把握したうえでの目標設定――正確に言えば行動目標の設定――ができる。等級は細かく設計できる。評価者が手を動かす前に、まず被評価者がAIと対話して目標を決め、AIがその進捗を追いかける。現在の等級とのギャップをほぼリアルタイムで分析し、ペース配分を示す。進捗はAIから評価者に伝わり、フィードバックは人間の評価者から被評価者へ、しかるべきタイミングで返される。半年前の仕事を誰も覚えていない、あの会議室の風景は消える。
これは絵空事ではない。海外のHRテック(人事関連のテクノロジー、サービス)を扱う企業はすでにこの流れを製品にしている。
日本でも動きは始まっている。メルカリは2026年6月、CTOの木村俊也氏がCHRO(最高人事責任者)兼CAIO(最高AI責任者)を兼務する体制に移った。AI戦略と人事戦略の責任者を一体化し、働き方や組織構造、リソース配分といった人と組織の運営基盤をAI前提で再設計するためだという。人間とAIを同じ台帳に載せて設計する組織は、もう出現している。
ただし、条件がある。AIはデータがなければ何も動かない。いま「AIを使っている」と言う人の大半は、OpenAIやAnthropicやGoogleが集めた汎用のデータの上で動かしているにすぎない。それでは会社は動かない。必要なのは、これまでの、そしてこれからの、あなたの会社だけのデータである。
そのための原則を、私はこう置いている。どのツールを使うときも、必ず「人間、AI、ツール」の順で通す。人間がツールを直接触るのではなく、人間がAIに指示し、AIがツールを動かす。私自身、この原則で会社を動かしている。調査も、経理の照合も、原稿の下読みも、カレンダーの調整も、必ずAIを経由させる。数か月続けた結果、AIは私の判断の癖を覚え、こちらの指示は短くなり、向こうの提案は的を射るようになった。
実は人間のほうが残酷
ここまで読んで、不安を覚えた読者がいるはずだ。すべての仕事が記録され、等級とのギャップがほぼリアルタイムで分析される。結果で測るという原理が、組織の全域に染み出していく。そんな制度の下で、人間の精神は耐えられるのか。人には調子の波がある。私生活の事情もあれば、運の波もある。一人前になるのに時間がかかる人もいる。スランプや雌伏の時を許さない仕組みで、常に一定のパフォーマンスを出せる人は、ごく少数ではないのか。
この不安は正しい。だから、制度の前提に置くべきことを、はっきり書いておく。人は脆い。成長には時間がかかる。失敗を犯す。疲れるし、病むこともある。この前提を欠いた評価制度は、精密であればあるほど人を壊す。
しかしここで記録の意味をもう一度考えてほしい。実は、人の記憶で行う評価のほうが、波に対して残酷である。半期の一時点で切り取られ、印象で記憶される。谷の底で評価の日が来れば、その谷がその人のすべてになる。完全な記録は、逆のことができる。不調の谷を、その前後の文脈ごと残せる。あの停滞の期間に何を仕込んでいたのかが、後から見えるようになる。雌伏が雌伏として認識されるのは、記録がある世界だけである。
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「新潮QUE」にて公開中の「身もフタもないAI論」の中で川崎氏はさらに「AIによって劇的に変わること」と「人間がやらなければならない/やることでより良い結果をもたらすこと」について、詳細に語っている。


