妻と恋人、ふたりに「ゲス野郎」と罵られ… 42歳夫が故郷と東京を行き来する“二重生活”を始めるまで

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「一度つまずくとダメなんだ」

 休養を言い渡されたが、彼は納得できなかった。医師や上司の制止を振り切って出勤したが、仕事ができる状態ではなかった。彼自身もようやく納得して入院、半年ほど休養した。その間も、親には元気で仕事をしているふりをしていた。

 再出社してみると、同期はすでにあちこちに配属されていて、彼はとりあえず休職前の部署にはいたが、仕事もわからず、行き場のない感じがしたという。

「一度つまずくとダメなんだと思いましたね。出社してからわかったんですが、会社から親には連絡がいっていた。親はオレが休職しているのを知りながら、話を聞いていてくれたわけです。知ってるなら知ってると言ってくれればよかったのにと、なんだか妙に恥ずかしくて、復職してからは逆に連絡ができなくなった」

 彼なりのプライドだろう。社会人として「すぐにダメになった」自分を、彼は恥じていた。本当は甘えて実家に戻りたいところだろうが、そこをグッと抑えた。親もそれがわかっているから彼に騙されているふりをした。だがその思いやりが彼を傷つけた。なんともやるせない話である。

 結局、彼は会社を辞める決断をした。当時の上司が「もしまた東京に戻ってくることがあれば連絡しろよ。オレはおまえを買っている」と力強く言ってくれた。それが彼の唯一の東京での報酬だった。

父親の反応は…

 なにもかものみ込んだ父親が「とにかく帰ってこい。おれはおまえの顔を見るまでは死ねない」と居丈高に電話をかけてきた。それに呼応するように彼は「ちょっとだけ帰る」と答えた。父はみごとに息子の気持ちをわかっていたのだろう。

「とりあえず実家に戻ってぶらぶらしていました。昔の友だちに会ったりもしたなあ。そのとき思ったんですよ。オレにはやっぱりまじめな生活は合わないと。まじめな生活というと変だけど、血のにじむような努力をすることも、そこそこの会社に勤めてエリート風に装うことも、なんだかすべてが向いてない。高校時代まではスポーツばかりやってるやんちゃなバカだったんです。その路線のほうが自分らしかったなあと土手に座ってぼんやり考えていました」

同級生「真希ちゃん」との再会

 そのときだった。「内藤くん」と声をかけられたのは。振り返ってみると、中学時代の同級生だった「真希ちゃん」が笑いながら手を振っていた。その日、ふたりは土手に座って長いこと話し続けたという。

「真希ちゃんからは昔、バレンタインデーにチョコをもらったことがあったんです。でもオレ、照れくさくてもらった瞬間、むしゃむしゃ目の前で食べちゃって……。真希ちゃんに『あんたって本当に情緒のない人ね』と怒られた。真希ちゃんのことは好きだったけど、まだ恋愛なんてわからなくて、結局、ふたりで一緒に帰るくらいしかしなかった。だからかえって大人になって再会したときに、何でも話せる幼なじみみたいな感覚がありましたね」

 若いふたりが恋に落ちるのに、時間はそれほどかからなかった。28歳のとき、婚姻届を出して1週間後に、子どもが生まれた。家庭を持つなんて、あっけないことなんだなあと裕造さんは他人事のように冷静だった。

「真希ちゃんは美容師で、出産ギリギリまで仕事をしていましたね。オレの実家の敷地内に以前、親戚が住んでいた小さい家があるので、とりあえずそこを新居にしました。でもオレには仕事がなくて。親父は農業をやるかと言ったけど、それもなんだかピンとこない。ちょうど夏だったから、近くの海でサーフィンをしながらレストランでバイトをしていたりしたんですが、周りからも『しっかりしろよ』と激励されました」

 家庭をもったという実感が希薄だったと彼は言う。子どもができたから結婚という形をとったのだが、「地元に留まり、着実に根を張る」意識はなかったのだろう。

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