妻と恋人、ふたりに「ゲス野郎」と罵られ… 42歳夫が故郷と東京を行き来する“二重生活”を始めるまで
【前後編の前編/後編を読む】マンションに帰ると、妻と恋人が並んで座っていた。「一緒になったらどう?」「時間を返してよ」…火に油を注いだ42歳夫の言い分
男女問わず、軽やかに不倫をする人がいる。深刻さを表に出さないケースもあれば、もともと罪悪感なく「恋愛しているだけ」と思っている場合もある。恋愛、結婚、家族などをどうとらえているかにもよるし、その人の生育歴からの影響もあるだろう。親が離婚している場合、離婚なんてたいしたことではないと思うのか、自分の子には同じような思いをさせたくないから絶対に離婚しないと思うのか、両極が見られるのと同じようなものだ。
【後編を読む】マンションに帰ると、妻と恋人が並んで座っていた。「一緒になったらどう?」「時間を返してよ」…火に油を注いだ42歳夫の言い分
そもそも、その人を形成するのは生育歴だけではない。同じきょうだいでも、まったく違う人生を送るのだから、その人をとりまくさまざまな環境や持って生まれたものなど、多種多様なものが影響するのだろう。本人が「どこを目指すか」にもよる。
「そもそもオレは不倫を倫理にあらずとはとらえてなかったんすよ」
妙に軽い口調でそう言うのは、内藤裕造さん(42歳・仮名=以下同)だ。西日本の小さな町に生まれ育ち、高校を卒業して地元企業に就職した。子どものころからボクシングが好きで練習を積み重ねており、仕事をしながらプロを目指した。
「でも20歳でケガをして挫折しました。ボクシングをやらなくなった人生は、空っぽだった。仕事もつまらない。このまま80歳まで生きるとしたら……と考えて、いっそもう死んじゃおうかと思ったこともあります」
意外な人物からの救いの手
そのとき彼に声をかけてくれたのが、父親だった。飲んだくれては母を泣かせていた父親が、「夢をあきらめるのはつらいよな」と彼の心に添ってくれたのだ。
「いっそ、東京へ行け、一旗揚げるまで帰ってくるなとむちゃくちゃなことを言われました。でもオレも、考えたらこんな小さな町は飛び出したかった。手に職をつけたほうがいいとも思ったんですが、親父が、とりあえず大学に行けと。親父自身、東京の大学へ行きたかったのかもしれない。代々、あの町で農業をやってきたから継いだけど、おそらく飛び出したかったんでしょうね」
父は親戚を回って借金までしてくれた。母は、「おとうさん、無茶するわ」と言いながらもなんだかうれしそうだった。
裕造さんは上京し、3畳一間のボロアパートで生活しながら予備校に通った。高校時代の成績も決していいわけではなかったから、必死で机にしがみついた。「あんなに勉強したことはなかった。毎日、脳細胞が増えていく感じがした」と裕造さんは笑う。たまに電話をすると、母が「おとうさん、お酒やめたんだよ」と言った。
ところが、突然の診断…「自分でもびっくりしました」
1年半かかって、彼はなんと国立大学に合格した。実家に戻ると、痩せて一回り小さくなった父がいた。
「何があっても大学をやめるなよ、おまえの人生を歩けと父は笑っていましたが、農業をやりながら、親父は近くのコンビニでアルバイトをしていたそうです。農業以外のことをしたのは初めてだったって。親父は命を削るようにして、オレに仕送りしてくれてた」
彼はすぐに父親を病院に連れていった。母の言うことを聞かなかった父が、裕造さんの言うことは素直に聞いた。そして大病が発覚し、即入院となった。
「でも生命力があったんでしょう、親父は手術やつらい治療を経て復活しました。オレはその様子を母から電話で聞きながら、必死で勉強を続けました。ほとんど友だちも作れなかった。周りはみんな若いし、3歳違いのオレは軽くハブられていたみたいで。奨学金を借りて、少し親に回しながらがんばった」
22歳で入学した大学を優秀な成績で卒業し、有名企業に就職した。ところが就職したとたん、彼は燃え尽きてしまった。梅雨時のある日、いつもの時間に起きようとしたら体が重くて起きられない。何が起こったのかわからず、その日は休ませてほしいと連絡した。ところが翌日も、その翌日も起きられない。
「いったい、どうしてしまったのか、どこが悪いのか。自分でもわかりませんでした。上司に相談して病院へ行くと、うつ病と診断されて。自分でもびっくりしました」
東京に出てきてから、彼は常に自分を叱咤激励し鼓舞し続けてきた。がんばるのが当たり前の日常を送り、それは就職してからも変わらなかった。だが、どこかで限界が来ていたのだろう。「やる気」はあるのに体も心もついていかない。
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