「武田信玄の幼名は、武田鉄矢という」…昭和の「高校生クイズ選手権」でワザと間違えた出場者の意図とは 熱気あふれる「87年の地区予選」レポ
高校生とクイズの熱すぎる夏
1987年7月24日、埼玉県所沢市の最高気温は37.8度(15時)。しかし、西武球場(現ベルーナドーム)の熱気はそれ以上だった。その源は約5万人の高校生たち。彼らが灼熱のグラウンド内で繰り広げた熱戦は、野球ではなくクイズである。当時まだ7回目だった「全国高等学校クイズ選手権」(日本テレビ系)の関東地区予選が行われていたのだ。
高校生クイズは1983年に「アメリカ横断ウルトラクイズ」の高校生版としてスタート。開始から話題を呼び、第7回大会の時点で各地の予選参加者は計約20万人に達するほどだった。が、猛暑で倒れる参加者も続出し、親の世代は「なぜそこまでして……」と思ったようだ。そこで当時の「週刊新潮」は、関東地区予選の3日後に開催された中部地区予選に潜入。高校生たちの意気込みや応募動機などを取材した。
この時の参加者はいまや50代後半だが、高校生クイズは現在も続いている。2026年も9月21日(月)に全国大会が放送されるが、当時との大きな違いは日射病・熱射病が熱中症と総称されるようになったことと、スマホの普及だろうか。「週刊新潮」のバックナンバーで「昭和の高校生クイズ」を振り返ってみよう。
(全2回の第1回:以下、「週刊新潮」1987年8月6日号掲載記事を再編集しました。文中の年齢等は掲載当時のままです)
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スタンドを出たところでふらっと倒れた
一口に「20万人」と言うけれど、この数字、生易しいものではない。
たとえば夏の高校野球。第69回「全国高校野球選手権大会」(※1987年開催)の地方大会は3900校が参加しているが、高校生の数で言えばざっと6万人。クイズ選手権の3分の1以下にすぎないのだ。
野球以上に高校生が熱中するクイズ選手権とは、どんなものか。その紹介の前に、西武球場での関東地区予選に参加し、日射病で倒れて入院したAさん(17)に体験談を語ってもらおう。
「去年、あのクイズ番組に参加した友達が“面白いから、申し込んでみな”と言っていたんです。それで、今年、私が所属している剣道部でチームを作り、参加したんです」
Aさんは茨城県立土浦二高の2年生。当日は池袋からクイズ大会参加者用の“特別列車”に乗った。
「車内はギューギュー詰めで、西武球場の駅に着いたのが12時すぎ。“入場締め切りまで、あと15分”というので、あわてて飛び込みました。入口から人が一杯あふれていて、もう本当に暑くて。暑い中、ゲストの早見優などの歌や開会宣言があって、第1問の答えが発表されたのは1時半過ぎてました。私たちはハズレ。私の頭はもうボーッとして、手足がジンジンしびれ、スタンドを出たところでふらっと倒れちゃったんです」
係員は他の体調不良者の対応に大わらわで、やっと連れていかれた医務室も満杯。Aさんはその後、救急車で搬送され、一晩入院してから帰宅した。
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