「草履を温めておきました」は秀吉の頭の良さを表したエピソードではない 養老孟司さんが語る「本気」の意味

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 NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』に関しては、「史実と違う」問題が早い段階からさまざま指摘されてきた。直近では、武将・中川清秀が秀吉を裏切って柴田勝家に寝返るというエピソードに対して、定説と違う、という指摘が上がり、ゆかりの自治体が抗議するという騒動にまで発展した。

 もちろん、大昔の話なのである程度嘘か真かわからないエピソードが混じるのは仕方がないところではある。「裏切り者扱い」は行きすぎかもしれないが、多くの大河ドラマファンは、ある程度の創作には寛容だ。あまりに史実に忠実だと、かの有名な「秀吉の草履取り」エピソードも描けなくなってしまう。それでは味気ないというものだ。

『バカの壁』で知られる養老孟司さんは、著書『超バカの壁』の中で、この秀吉の草履取りのエピソードを例にしながら、「仕事と向き合う」ということの本質を説いている。

 草履取りを例にしながら養老さんが説くのは、「自分に合った仕事」という幻想を捨てたほうが良い、というアドバイスだ。若い人の中には、「自分に合った仕事」を探して、本腰で働かない人がいる、これはおかしい、というのが養老さんの主張である。まずはその部分を引用してみよう。

「仕事というのは、社会に空いた穴です。道に穴が空いていた。そのまま放っておくとみんなが転んで困るから、そこを埋めてみる。ともかく目の前の穴を埋める。それが仕事というものであって、自分に合った穴が空いているはずだなんて、ふざけたことを考えるんじゃない、と言いたくなります。
 
 仕事は自分に合っていなくて当たり前です。私は長年解剖をやっていました。その頃の仕事には、死体を引き取り、研究室で解剖し、それをお骨にして遺族に返すまで全部含まれています。それのどこが私に合った仕事なのでしょうか。そんなことに合っている人間、生まれ付き解剖向きの人間なんているはずがありません。
 
 そうではなくて、解剖という仕事が社会に必要である。ともかくそういう穴がある。
 
 だからそれを埋めたということです。何でこんなしんどい、辛気(しんき)臭いことをやらなきゃいけないのかと思うこともあるけれど、それをやっていれば給料をもらえた。それは社会が大学を通して給料を私にくれたわけです」(『超バカの壁』より)

とにかく本気で働け

 仕事とは目の前にある穴を埋めることだ、というこの考え方は養老さんの著書に何度も出てくる。そうすれば道が平らになって、社会のためになる、人に感謝される、お金ももらえる。
 これを前提にしたうえで、養老さんは「秀吉の草履取り」についても、自己流の解釈を披露している。
 
「『秀吉の草履取り』のエピソードはご存知でしょう。織田信長の草履取りから始めた秀吉が最終的には天下をとった。その草履取りで気に入られた理由は雪の中、主人である信長の草履を身体で暖めていたからです。
 
 この『秀吉の草履取り』は秀吉の頭の良さを表すためのエピソードだと思われるかもしれません。しかしそうではありません。本気でやることの大切さを教えているのです。秀吉は草履取りを本気でやった。初めから本気でやれば、あそこまで偉くなれるという話です。だから本気で仕事をしろと教えているのです。
 
 むろん、いくら穴を埋めろといっても、どうしても自分には埋められないタイプの穴だってあるでしょう。向き不向きがありますからそれは仕方がありません。そういう場合はきっと体調がおかしくなるとか、何か形として出てくるでしょう。
 
 でも、実社会で本気で働けば、穴が空いている場所はわかるはずです」(同)
 
 注意すべきは、養老さんも「向き不向き」は否定しておらず、向いていないことを無理にやることは勧めていない点だろう。体を壊してまで働く必要はない。
 一方で、「自分に合った仕事」などという前に「本気でやる」ことのほうが大切ではないか、と語っているのだ。本気の先にこそ何かがある、と。この「本気」という言葉は養老さんの著書で繰り返し出てくる重要なキーワードの一つだ。
 
 草履取りが事実かどうかはさておき、そのエピソードから学べることがあるのは間違いないようである。
 養老さんならではの「仕事論」については、関連記事【「自分に合った仕事」なんて大うそ! 「死体を解剖し続けた」養老孟司さんが語る「本気の仕事論」】でより詳しく知ることができる。

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