3700グラムのわが子の誕生に、妻の手を握り号泣…なのにわずか7年で離婚 66歳再婚夫の「会えないひとり娘」への心残り
定年後も働いて
それから5年、つつがなく仕事を続け、1年数ヶ月前に無事、定年を迎えた。だが、そのまま引っ込むのは不本意だったし、周りもそれを許さなかった。その後、3ヶ月間の猶予を得てから、週4回のペースでグループ会社に勤務、せっかく仕事をしているのだから何か世のため人のためにと、自分ができることを最大限、続けている。
「グループ会社には、参与みたいな肩書きで入ったんですが、曖昧でしょ。ただの名誉職みたいな感じもある。でも僕はそれでは嫌だと言ったんです。別に大きな権限はいらないけど、ちゃんと僕の意見をフィードバックしてくれる機能はほしいと。社員たちから意見を聞き取り、社内制度を社員に有利なように変えることに成功しました。給料をはじめ、社則など、働いている人にメリットのない会社は滅びると思う。自分が現役でなくなったから、むしろ言いたいことが言えるようになりましたね」
若かりしころは組合にいたこともあるというから、ただの「いい人」ではなく、筋の通った人なのだ。
ところで、彼の言う「落とし前のついていない件」とは何なのだろう。
最初の結婚は40歳のとき…友人の妹と
「定年を迎えたとき、1ヶ月間の休暇をもらうつもりだったんです。ところが定年直後に心筋梗塞で倒れてしまった。2週間の入院を経て、僕自身は元気になったつもりだったけど、無理をしてはいけないと医師からも言われて、結局、3ヶ月ほど休みました。本当は定年退職したらすぐ、別れた娘に会いにいこうと思っていたんです。定年後、真っ先にそうしたかった。僕にとって、それだけがどうしても人生の心残りだったから」
宏忠さんの最初の結婚は40歳のときだった。それまで自由を謳歌して生きてきたのだが、37歳のとき中学生時代からの親友が突然亡くなり、急に死が身近になった。翌年には元気だった父も60代で病死、駆けつけたときにはすでに遅かった。久しぶりに会った母はすっかり小さくなったように見えた。自分にも老いは確実にやってくる。そう思ったとき、ひとりでもいいやという気持ちが「嘘っぱち」に思えた。人はやはりパートナーが必要なのだと180度考えを変えた。いや、自然とそう変わったのだろう。
「そんなときたまたま高校時代の同窓会があって田舎に戻ってみたら、仲のよかった友人の妹もやってきていた。僕はよく彼の妹をからかって遊んでいたんですよ。麻里という名前だった。友人はきょうだいが多くて、彼女は10歳離れた末っ子。当時、あんなに小さかった子が大人になっていて妙にまぶしかった」
麻里さんも宏忠さんのことを覚えていた。リップサービスなのか、「あなたが初恋の人だったんだけどな」と笑った顔がかわいかった。麻里さんも東京で仕事をしていることがわかり、今度、ランチでもと言って別れた。その1週間後、ふたりはランチではなくディナーを一緒にとっていた。
「あの頃、本当に子どもだった彼女が大人として目の前にいるのがおもしろかった。同郷ということもあって気が置けない。デートという感覚がないままに数回、一緒に食事に行ったり飲みに行ったりしていたんです。そうしたらあるとき麻里が、『私を女として見ることはできない?』と。ドキッとしました」
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