「生い立ち」は人をずっと支配する…「夫婦、家族とは何か」を問う ドラマ「T乾」が描いた30、40代のリアル

エンタメ 芸能

  • ブックマーク

どうなる最終回

 あずさは児童養護施設の出身。親を知らない。育ててくれた職員は大切にしてくれただろうが、命を懸けて子供を守るような親の愛情とは比べられない。担当職員が辞めたり、配置換えになったりしたら、ほかの職員が後任を務める。翔も咲子を、あずさの代わりの職員のように見てしまったのだろう。

 あずさも翔を愛していたはずだ。ただし、自分の居場所や時間も大切にしていた。コインランドリーで充と会っていたことや、命を落とすことになった長野へのバス旅行もそうである。目の離せない幼児の母親としては、多数派ではないはずだ。

 児童養護施設の職員は日々の勤務を終えると、自宅で個人としての生活を営む。別の時間を持っていたという点で、あずさとの共通点を見いだせる。

 もっとも、児童養護施設で育った人が画一的でないのは言うまでもない。人それぞれである。また、あずさも翔を残して逝くのは無念でならなかったに違いない。

 人は、親から与えられた生育歴を抱えたまま、新しい家族をつくる。異なる生育歴が組み合わさるのだから、衝突や摩擦を避けるのは難しい。「T乾」はそれを描いている。

 作者の生方美久氏(33)が放送前、「共感や感動を目指した物語ではない」(ドラマの公式ホームページ)と語っていたが、ここまで観て腑に落ちた。咲子の離婚歴、充の失踪癖は理解できる範囲内ではあるものの、共感も感動もない。

 生方氏は「人間観察の感覚でお楽しみください」(同)とも話していた。その通りになった。泣けるドラマではないし、生き方のヒントを与えてくれるわけでもない。

 では、生方氏やスタッフは何を目指したか。「岸辺」の時代はホームドラマの全盛期だったが、今はすっかり衰退してしまった。その復権を狙ったのではないか。だから目を引くために4回の離婚歴などを織り込んだ。サスペンスタッチの構成にしたことや、毎回のラストシーンを衝撃的なものにした展開も目的は同じだ。

 比喩を多用している理由もまた同じであるはず。まず、洗濯は人間関係をきれいにすることを表していると読む。ただし、洗えばすべてがきれいになるわけではない。落ちない汚れもある。

 コインランドリーは生活の一部である洗濯を行う場所でありながら、家族から離れたところにある。他人同士が一緒に洗濯を行う。矛盾を表す存在と見る。充とあずさも配偶者にすら語れないことを明かすという、ねじれた行為に及んだ。

 最終回はどうなるのか。「岸辺」の場合、崩壊寸前の田島家を、実際に起きた多摩川水害が襲う。田島家が暮らした家が洪水で流されてしまうが、その直前、一家は身の危険も顧みずに家族写真を収めたアルバムを取りに戻る。信頼関係も家も失われようが、やはり家族はかけがえのない存在だった。

「T乾」の咲子にとっても充は代えの利かない存在なのか。それとも過去の4人の夫と同じく、いなくなっても構わないのか。

 生方氏による「感動を目指さない」という言葉は、額面通りには受け取れない。胸を打つエンディングが待つと読む。

高堀冬彦(たかほり・ふゆひこ)
放送コラムニスト、ジャーナリスト。1990年にスポーツニッポン新聞社に入社。放送担当記者・専門委員として、1994年のNHK連続テレビ小説「春よ、来い」のヒロイン途中交代や、1999年のフジテレビ「愛する二人別れる二人」のやらせ問題などを特報する。2015年に毎日新聞出版へ入社し、サンデー毎日編集次長を務める。編集者としては「小池百合子都知事の真実」などを担当した。2019年に独立。元・放送批評懇談会出版編集委員。

デイリー新潮編集部

前へ 1 2 3 次へ

[3/3ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。