「辺野古の事故後、自分を責めていた」「休職を願い出たが、受け入れられず」 同志社国際高校の59歳教諭が死亡
【前後編の後編/前編からの続き】
今年3月、沖縄県名護市辺野古沖で、同志社国際高校の生徒、武石知華(ともか)さん(17)が研修旅行の平和学習中に死亡したボート転覆事故。8月23日の朝9時半ごろ、この研修旅行に同行していた59歳の男性教諭(以下、A教諭)が、電車にはねられ死亡した。現場の状況から自殺とみられるが、なぜA教諭は自らの命を絶ったのか。研修旅行での事故後、A教諭は休職を申し出ていたというのだが……。
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【写真を見る】「一見近寄り難いが、優しい」 A教諭が亡くなった事故現場
前編では、生徒が明かすA教諭の素顔、そして研修旅行の計画立案にA教諭がどのように関わっていたのか、などについて報じている。
3月の事故後、A教諭は憔悴し切っていたという。さる学校関係者は、
「先生は、旅行の計画立案に深く携わっていたこともあり、他の先生方よりもはるかに責任を痛感している様子でした。事故直後からネットでも名指しで中傷され、周囲にも『事故が起きたのは自分のせいだ』『武石さんのご遺族に申し訳ない』と、しきりに漏らしていました。特別調査委員会が動き出し、先生も5月にはヒアリングを受けていますが、その間もずっと悩み続けていたのです」
「校長に『休職させてほしい』と願い出ていたが……」
そうした中で本人は、西田喜久夫前校長にある“申し出”をしていたという。
「精神的な疲労が重なり、著しく体調を崩した先生は、校長に『休職させてほしい』と願い出たのです。ところが、調査の最中だったこともあって引き止められてしまった。先生はその時、『8月いっぱいは待ってほしい』と告げられたと聞いています」(前出の学校関係者)
さる文部科学省の関係者が明かす。
「これらの経緯は、文科省でも把握しています。西田前校長は、自身が8月末で職を解かれることになると聞き及んでおり、残り少ない在任中に教職員の問題を抱えることを避けようとしたのではないでしょうか。亡くなった教諭はこうした姿勢に不満を覚えていたと聞きます。事故後の対応で、どの先生方も多忙の身ではありましたが、もう少し別の対応があったはずです」
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