【豊臣兄弟!】名誉を重んじる柴田勝家に不名誉な身投げをさせたNHK どうして史実を歪曲し「戦国の非常識」ばかり詰め込むのか

国内 社会

  • ブックマーク

勝家が名誉の切腹を選ばなかった可能性はゼロ

 いずれにしても、勝家が市を刺殺し、しかるのちにみずから切腹したのは、動かしがたい史実だと思われる。

 ここでもうひとつ強調すべきことがある。すでに少し触れたが、当時の武士にとって、名誉がある死に方は切腹の一択だった。自分の腹を切って命を絶つ行為は、極限的な勇気を示すものとみなされ、武士としての誇りとともに、家の名誉の保持にもつながった。同時に腹とは古来、人間の魂が宿る場とされ、そこをみずから切り裂く行為は、自身の正しさと精神性の高さの証明でもあった。

 一方、戦国時代にも身投げはあったが、それは刀をもたない、または使えない女性や子供、負傷した兵士らが、敵に捕縛されないように選択した手段であって、刀を使える武士が身投げをするなど、およそありえなかった。ましてや勝家のように名誉心の強い古武士が、自死の方法として切腹よりも身投げを選ぶことなど、天地がひっくり返ろうともなかったであろう。ドラマの勝家は身投げする前に「よお見ておけ。これが戦じゃ」といったが、身投げが戦だという感覚など、戦国大名には微塵もなかった。

 勝家は最初、市が短刀を首筋に当てて自死しようとするのを見守っていたが、ここからすでにおかしい。戦国時代、敵に追い詰められて絶体絶命のとき、女性や子供は男が刺し殺すのが通例だった。これは残酷なようで、敵に捕らえられてひどい仕打ちを受けるのを避けるための、いわば究極の家族愛だったのだ。女性や子供が刀で自害するのは簡単ではないので、余計な苦しみを味わわせないためにも、男が殺すものだった。

 結局、勝家も市も、名誉がまるで満たされない死に方をさせられてしまった。とくに山口馬木也の勝家は当たり役だっただけに、あのように殺されたのは気の毒だ。勝家ゆかりの福井市は、地元が誇る武将の名誉が棄損されたとして、NHKに抗議したほうがいいのではないだろうか。

小一郎の単独行動も何重にもありえない

 指摘しはじめるとキリがないが、もう1点だけ記しておきたい。秀吉の陣にいた小一郎は、北ノ庄城に総攻撃がかけられると、市のことが気がかりで、秀吉が止めるのも聞かずに城に向かって走っていった。そして冒頭で記したように、勝家と市の身投げを目撃することになるのだが、これも絶対にありえない展開である。

 このとき北ノ庄城には3,000人の兵が配置され、そこに賤ヶ岳合戦の敗残兵が加わった。つまり、柴田方の兵力も少ないとは言い切れなかったので、それが勢いづく前に、秀吉はみずからが率いる1万8,000の兵力で総攻撃を命じた。これほどの兵力による戦いだから、城内は大混乱で、極めて危険な状況だっただろう。そのうえ狭い天守の内部となれば、そこでの攻防戦は相当な危険をともなう。だから秀吉は書状に、精鋭を選んで送った旨を(その真偽はともかく)書いていた。

 そんな場に小一郎が一人で駆け込めば、まず命がなかった。たった一人で陣を離れて天守の最上階までたどり着ける可能性など、こちらも天地がひっくり返ってもない。だが、その前に、指揮を執るべき立場の武将が、あのような単独行動をとること自体がありえない。戦国時代の合戦は集団戦および組織戦が基本で、個人が身勝手な行動をすれば、軍勢全体の崩壊を招きかねなかった。ましてや小一郎は副将であって責任が重い。命令を無視してあのような単独行動をとれば、生きて戻ろうとも死罪になってもおかしくなかった。

 このように戦国の常識に照らしたときに、ありえないこと、その立場の人間であれば是が非でも避けたであろうことばかりが、第33回には描かれていた。時代考証の専門家が2人もついていながら、史実が歪曲され、非常識な描写ばかりが詰め込まれるのは、いったいなぜなのか。不思議でならないが、呆れているあいだにも歴史への誤解は浸透していく。

香原斗志(かはら・とし)
音楽評論家・歴史評論家。神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。著書に『カラー版 東京で見つける江戸』『教養としての日本の城』(ともに平凡社新書)。音楽、美術、建築などヨーロッパ文化にも精通し、オペラを中心としたクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)など。

デイリー新潮編集部

前へ 1 2 次へ

[2/2ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。