「鑑定団」では低評価が続出…地方のお屋敷に「贋作」ばかりが眠っているのには理由があった 「田舎大観」と知りつつ“放浪の画家”を泊めた昭和の精神性
山下清は旅先で創作していない
地方を旅して歩いた放浪の画家といえば、山下清が有名だ。実は、田舎大観ならぬ“田舎清”とでも呼ぶべき作品は多い。すなわち、清がお礼に残していったと伝わる作品である。清はテレビドラマ「裸の大将放浪記」の影響で、放浪の天才画家というイメージが定着しているが、これは半分正しく、半分間違っているといえよう。
芦屋雁之助や塚地武雅が演じるドラマの清は、旅先で出会った人に自身の貼り絵をプレゼントし、去っていく。清が去った後に絵を見た人が、ランニングシャツの男の正体が偉大な画家だとわかって驚く――という話が多い。ところが、清は現地で創作をほとんど行っていない。旅から帰ってから、ゆっくりと作業しているのだ。
清は驚異的な記憶力の持ち主だったといわれる。現地で見た風景を瞬時に記憶し、時間が経ってからでも紙の上に忠実に再現できたという。フィクション上のエピソードよりも、むしろこの本当のエピソードのほうが遥かに凄いと思えるのだが、ドラマに影響され、現地で絵を残したと思っている人は少なくない。
清もまた存命中から人気が高く、知名度もあった。ランニングシャツと短パン姿の“山下清のコスプレ”のような出で立ちで、旅をしていた無名の画家も多かったのかもしれない(ちなみに、過去に「コミックマーケット」で清のコスプレをしていた人はいた)。そのせいか、地方で見つかる清の絵は多いものの、ほとんどが贋作であるという。
美術品と食料を交換
戦中・戦後は、地方に多くの美術品が集まった時期だった。食糧難に苦しんだ都会の人々が、コメや野菜を求めて田舎にやってきたためである。彼らは、代々受け継いできた美術品と引き換えに食料を分けてもらうケースが多かった。戦後の一時期は貨幣の価値がインフレでどんどん下がったため、物々交換が好まれたともいわれる。
そのようにして物々交換した品物が蔵や押し入れにしまい込まれ、現代に伝わっていたりするのだが、残念ながら多くは贋作であり、着物や反物なども低品質なものばかりだったりするのだ。
筆者が知っている例を紹介しよう。秋田県内のある豪農の蔵を取り壊す際、中から美術品が大量に出てきた。聞けば、その家に疎開していた人が、立ち去る際にお礼として置いていったものらしい。また、前述のように、都会からコメを求めてやってきた人から受け取ったものもあったようだ。
なかには、「秋田県立美術館」に一大コレクションがあるレオナール・フジタ(藤田嗣治)など、著名な画家の作と思わしき絵も含まれていたそうだ。名家ということで俄然期待が高まったが、鑑定の結果、そのすべてが贋作とわかった……という悲しいエピソードもある。
心と心の交流があった
おそらく、「鑑定団」で低額評価を受ける贋作には、ここに挙げたような経緯で入手されたものが少なくないと考えられる。現在のようなインターネットもない時代、地方の人たちは、様々な手口で贋作を掴まされてしまったといえる。一方で、物々交換には人と人の心の交流があり、その意義は金銭的価値だけで図れるものではないのも事実だ。
無名の画家を「こいつは面白いな」と思って泊めた豪農もいただろうし、その絵を純粋にいいと思った名士もいただろう。都会からやってきた苦しそうな家族が持ち込んだ着物が低品質なものだとわかっていても、農家はコメを渡してあげたのかもしれない。そこには、日本人の美徳とされる助け合いの精神があったのではないだろうか。
贋作は古美術商にとっては困った存在ではあるものの、その裏にはほほえましいエピソードがあるケースも少なくないと考えている。稚拙な贋作も、そういったことを妄想しながら向き合えば味わい深く感じられたりするものだ。個人的には田舎大観だけを集めた展覧会が企画されたら、見てみたいと思ってしまうのだが。



