名古屋場所「2日連続金星」で大ブレイク「藤ノ川」 幕内最軽量21歳が魅せる「気合相撲」は“父の教え”あってこそ【令和の名力士たち】
妹と母親が立て続けに亡くし
父親が幕内力士・大碇(おおいかり)だったため、子どもの頃から、相撲は身近にあった。父の勧めもあって、自宅近くの少年相撲道場に通って、相撲の腕を磨いた。
ところが、少年時代の藤ノ川は体が小さく、同学年の少年たちに勝てるだけの力はなかった。
弟が2人、妹が1人生まれた頃、悲しい出来事が起こる。妹と母親が立て続けに亡くなってしまったのだ。残された父と3人兄弟は、呆然とするしかなかった。現役を引退していた父は親方になっていたが、仕事上多忙で東京にいられないことも多い。
「この子たちをしっかり育てていかなければならない!」
父は覚悟を決めて、3人兄弟の弁当を作り、相撲の大会などにも足繁く通った。
藤ノ川は当時のことを多くは語らない。けれども、この時、
「齋藤家の長男として、弟たちと一緒にがんばらないと!」
と、長男の自覚を持ち、泣き言などは口に出さない強い心の持ち主になった。
相撲を続けた藤ノ川に実力がついてきたのは、中学3年生の頃だ。全国大会で団体優勝を果たし、続いて進んだ名門・埼玉栄高相撲部では主将を務めるなど、相撲だけではなく、チームをまとめる力も評価された。
スピード出世の背後に「父の教え」
高校を卒業するにあたって、藤ノ川のもとには大学相撲部からのスカウトが舞い込んだ。ところが、藤ノ川が選んだのは「プロ」で相撲を取ること。1日でも早く、一人前になって、父親を安心させたいという思いもあっただろう。ともあれ、高卒で大相撲の世界に入ったという決断は、結果的に「吉」と出た。
四股名は、父親の四股名「大碇」から、「碇」の字を受け継いで、「若碇(わかいかり)」。若碇は、序ノ口、序二段、三段目を一場所で通過して、2023年秋場所では、幕下に昇進。その後も出世は順調で、1年後の24年九州場所では十両に昇進。若干19歳で「給料」がもらえる関取に上がることができたのだ。
若碇の相撲の良さは、まず基本に忠実なこと。そこに動きの鋭さが加わるので、相手力士がスピードについていけない。
父の甲山親方は、長年、新弟子を教育する「相撲教習所」で、新弟子たちの指導をしている。相撲の所作、取り方だけではなく、礼儀や生活の基本までを教える「鬼教官」である。いつの間にか身についた父の教えは、若碇のスピード出世につながったのだろう。
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