シベリアの二宮和也、広島の宮沢りえ、フランス人監督が描く小野田少尉…平和への思いを新たにする「2000年代の戦争映画」5選
亡くなった父との会話
〇「父と暮せば」(2004年)
井上ひさしの戯曲を黒木和雄監督が映画化。原爆投下で亡くなり霊となった父と、自分だけが生き残ったことを苦しみながら生きる娘との交流を描いた。
1948年夏、広島。福吉美津江(宮沢りえ)は、原爆によって父・竹造(原田芳雄)を亡くし1人で生きていた。ある日、激しい雷にあい家に駆け込むと、父がいた。「おとったん、やっぱおってえですか」と美津江は驚くでもなく会話する。
父は娘に、知り合った木下(浅野忠信)ともっと親しくなるようすすめる。しかし美津江は「うちは、幸せになってはいけんのじゃ」と悲しげに言うのだった。原爆投下の日、父は家の下敷きになってしまう。美津江は助けようとするが火が回り始め、父は「最後の親孝行だと思って逃げてくれ」と言い亡くなってしまう。
黒木監督はこの物語は自分の体験が重なっているという。「瀕死の学友を助けようともせず、ひとりだけ逃げて生き残った私、(略)美津江はまさに私なのでした」(黒木和雄『私の戦争』岩波ジュニア新書、以下同)と。そして宮沢との会話を思い起こす。「(彼女は)広島で被爆した人々、被爆死した人々を語る時に涙ぐむのです」。黒木監督と宮沢は出会うべくして出会った2人なのかもしれない。
宮沢の演技は、父の言葉から希望を見つけようとする内省的で情感のこもったものだ。柔らかで温かい、そして少し寂しげな彼女の話す広島弁は、いつまでも聴いていたい音楽のよう。だからこそ、原爆の悲惨さが伝わってくるのだ。
「おとったん、ありがとありました」
その声がいつまでも心に残り続ける。
29年後の帰還
〇「ONODA 一万夜を越えて」(2021年)
太平洋戦争の敗戦後、小野田寛郎陸軍少尉は約29年間フィリピン・ルバング島に留まり続けた。この実話を元にフランスのアルチュール・アラリ監督が映画化。青年期を遠藤雄弥、壮年期を津田寛治が務めた。
特殊訓練を受けた小野田寛郎(遠藤)は、島でゲリラ戦を展開。上官からは「必ず迎えに行くから生き延びろ」と命令されていた。「小野田隊」のメンバーは4人だったが、最後は小野田だけが残る。ジャングルを移動しながら生きていく姿は圧巻だ。時には住民の畑に火をつけて食糧を奪い銃撃戦を行う。そして戦争が終わったという説得を全く信用しない頑なな姿が描かれる。
クライマックスは小野田を探しにきた青年・鈴木紀夫(仲野太賀)との邂逅だ。後に小野田さんはこの時のことを「よし、殺そう。それ以外方法はない」(『わが回想のルバング島 情報将校の遅すぎた帰還』朝日新聞出版)と記している。
終戦はアメリカの謀略であると固く信じていた小野田は、鈴木青年も敵だと思い込んでいた。この緊迫した場面は映画でも描かれている。仲野に詰め寄る津田の演技は、殺意を裡に忍ばせた真に迫ったものだ。小野田はその後、元上司から任務解除の命令を聞き初めて帰還を決意する。
あれから52年。長年上司の言葉だけを守り、島に留まり続けた小野田に、違和感を持つ人もいるだろう。しかし、そうした彼を作ったのは、日本と日本軍部、そして戦争であることは間違いないのだ。
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