“イカ天”で人生が一変 「幸せであるように」浜崎貴司、フライングキッズ解散と再結成を語る
結成から10年で一旦解散
楽曲はヒットし、端からは順風満帆に見えたが、本人は安穏としてはいられなかった。
「東京スカパラダイスオーケストラのライブを観に行って『とんでもねえな』と思ったし、スチャダラパーはカッコいいし、対バンをしたフリッパーズ・ギターも素晴らしい。うかうかしてられないな、という思いでしたね」
結成から10年間走り続け、1998年2月にフライングキッズは一旦解散した。当時の事務所の社長の発言もきっかけとなった。
「休みが年間で数日しかないほどで、とにかく過酷な日々でした。作詞・作曲、セッション、ライブ、ツアー、取材、リハーサル。本当によく頑張ったと思います。若かったから集中力もあったし、努力もできた。今につながる部分も大きいです。ただうちのバンドは7人。人数が多いほど一緒に走り続けることは大変です。バンドって楽しいですけど、共同作業だから思うようにいかないこともたくさんあるし、いろんな形で我慢することもあります。僕自身は続けるつもりでしたが、当時の事務所の社長が『レコードレーベルをビクターで続けるなら手を引く』と。同じタイミングで、メンバーからそれぞれ別のプロジェクトをやりたいという話もあり、結局潮時なのかな、と」
ソロデビュー、そしてフライングキッズ再結成
同年12月、「ココロの底」で浜崎はソロデビューした。ミュージシャンとして活動を続けるための重要な布石だった。
「バンドでは、フライングキッズというブランドに縛られ、曲も詞もフライングキッズ風というか、自分たちを自らコピーして、息苦しく感じていた部分もあった。だからソロで違う空気を吸って、新しい成長を遂げないと次に行けないという思いがありました」
とはいえ、それまでバンドを母体にして活動してきた。不安もあり、一人だからこそ自由ではあるが、苦しんでもいた。
「“永遠の青春の中で生きる”というフライングキッズの鎧を脱げる安堵感はありましたが、どうやってソロをやっていくんだろうという焦りがありました。結局、自分でやるしかないと思い至り、曲を毎日のように作って録音するという作業を続けて、自分が見えてきました。振り返れば本当に大事な時期だったと思います」
時は巡り、バンドに再結成の機運が高まった。2007年のことだ。
「2002年にKICK THE CAN CREWのMCU君が『幸せであるように』をカバーし、フィーチャリングで出たことから、フライングキッズを客観視できるようになっていました。その頃、僕のソロ作品で伏島にベースを頼んだんです。彼は当時、ベースを売ってしまっていて、楽器店に買いに行った。試し弾きしていると、同じようにギターを試奏している人がいて、それに合わせてベースを弾いていたら“合奏ってやっぱりいいな”と思えたそうです。僕のセッションでコーラスもお願いしたら『フライングキッズの音がした』という話になり、伏島から『そろそろもう一回やってみたい』と言われて。メンバーに声を掛けたら、浜谷淳子ちゃん以外の6人が集まって復活という形になりました」
メンバーは他の活動と並行しながら、以前のような根を詰めるのではなく、音楽を楽しむ余裕を持って新たに出発した。
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