左目周囲の痣は「脳の動脈が破れ、その血が溜まっていた」 09年に孤独死「大原麗子さん」、死の間際に何が起きていたのか

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精神的にもかなり不安定に

 病気に苦しめられた生涯だった。28歳で難病ギランバレー症候群が発症。1999年には、女優活動の一時休止に追い込まれるまでに悪化した。精神的にもかなり不安定になった。関係者は続ける。

「10年ぐらい前から、財産を狙っている人がいる、という相談を警察に何度もしているんです。昔の女優仲間にも夜な夜な電話をかけていた、と報じられていますが、同じことを相談したのではないでしょうか」

 一種の被害妄想的な精神状態でもあったようだ。

「警察に住居侵入の被害を訴えたこともありました。警察が来てくれないと言って、わざわざ自宅前の道路に寝ころび、駆けつけてきた警察官に保護されるということもありました。以前は、家に勝手口もあったのですが、入口を一つにして他から入れないようにした。まるで要塞みたいでしたね」(同)

「何度か脳梗塞をやっている」

 母親と同居し、介護を続けていたが、平成20(2008)年11月に転倒し、右手を骨折した。母親は施設に入居する。大原麗子は、取材にきたマスコミにインターホン越しに、思い通りにならない自分の体について訴えた。ギランバレー症候群が再発したと怯えていたのだ。しかし、

「姉は、ギランバレー症候群は再発していなかったと思いますよ」

 と語るのは、遺体の第一発見者である実弟の大原政光氏(60)である。

「ギランバレー症候群は筋力が失われる病気ですが、姉は“再発した”と言った後も走っていましたからね。むしろ脳の疾患を抱えていたのではないでしょうか。実際、何度か脳梗塞をやっているんです。だから、フラついていたのに、本人はギランバレーの再発だと思っていたんです。解剖の結果、脳の動脈が破れて亡くなったことが分かりました。青い痣のようなものは、脳の動脈が破れ、その血が左目の周りに溜まって痣のように見えたのです」

 遺体から携帯電話までの距離は1.5メートル。そこまでに辿り着けなかった彼女は、最期にどんな思いを抱いて亡くなっていったのだろうか。

(以上、「週刊新潮」2009年10月15日号より)

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 麗子さんの死から約2年後、芸能リポーターの前田忠明氏が執筆、政光氏が監修したノンフィクション『大原麗子 炎のごとく』(青志社)が出版された。2013年にはこの本を原作としたドラマが放送され、内山理名が麗子さんを演じている。

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