【風、薫る】演じながら急成長している直美役「上坂樹里」 大化けの背景にモデルと全然違う複雑な境遇

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尋常でないものを背負って生きる女性

 そんな文の病気は、帝都医大付属病院の外科医の話では、胃がんとのこと。しかも、おそらく転移が進んでいるので、手術もできないというものでした。直美は文に「なにか望みはありませんか」と尋ね、文の最後の望みをともに叶えることにします。

 そして、文とともに熱海の浦崎八幡を訪ねたときの表情の一つひとつにも、文が亡くなったのちの表情にも、直美の心の奥底に渦巻く複雑な感情が、複雑なまま、しかも繊細に表され、見ていて心を揺さぶられました。

 ここまでの話でおわかりかと思いますが、直美は生後間もなく、名前もつけられずに横浜の教会に捨てられていた孤児で、親がだれかもわからないまま育ちました。直美という名は、旧約聖書の「ルツ記」に登場するナオミ(ルツの義母)からとられたものです。

 出生については、看護の勉強をはじめてから、先述の寛太が調べたことでようやくわかったことでした。品川の錦栄楼という遊廓にいた女郎が、年季が明ける前に男と逃亡し、そのときに娘を産み落とし、教会の前に捨てた、という話でした。

 ですから、子供のころから「なんで捨てたの、なんで名前もつけてくれなかったの」とずっと思いながら育ったわけで、いうなれば直美は、若いのにとんでもなく尋常ならざるものを背負って生きている女性なのです。それを、ドラマで演じている年齢よりも、実年齢がずっと若い上坂樹里が描写するのですから、簡単ではないはずです。

 モデルになった鈴木雅の境遇そのままのほうが、演じるのはずっと簡単だったのではないでしょうか。鈴木雅は孤児どころか、れっきとした武士の娘だったからです。

直美とともに成長する上坂樹里

 雅は幕臣の加藤信盛と、やはり幕臣の娘のトヨのあいだに生まれ、父は最後まで幕臣の立場で戊辰戦争に参戦しました。徳川家が駿府(静岡市)に移封になると、駿府に移りましたが、雅の父は、戊辰戦争で辛酸をなめたせいか、男尊女卑の考えが根深かった当時の士族にしては珍しく、女子も学ぶべきだという考えでした。そして実際、雅を横浜に送って、日本婦女英学校(現・横浜共立学園)やフェリス・セミナリーで学ばせました。

 しかも、雅はりんと同様、看護婦になる前に結婚していました。相手も鈴木良光という旧幕臣で、陸軍に入隊して西南戦争などに従軍し、戦功を挙げて少佐に昇進した25歳のときに、20歳だった雅を娶りました。そして2人は一男一女をもうけたのですが、西南戦争で大腿部に被弾した良光は、完治しない傷が原因で、6年後に赴任先の仙台で亡くなってしまいます。

『風、薫る』のりんと直美は、生まれからして家老の娘と孤児で、なにからなにまで対照的に違っていますが、モデルになった大関和と鈴木雅は、境遇がかなり似ていました。だからこそ脚本家は、雅の生まれをまったく違う設定にしたのだと思います。

 実際、和と雅は、帝国大学医科大学附属第一医院で看護婦見習をしているときに、男と心中しかけた女郎が運ばれてきて看護したり、廃娼運動にかかわったりと、女郎の境遇について考えさせられる環境にいました。そこで脚本家は、いっそのこと雅の母親を女郎にしてしまってはどうか、と思いついたのではないでしょうか。そのほうがりんと直美を、より対照的に描けるし、と。

 結果として、直美という役はグンと難しくなりました。しかし、上坂樹里はもともと努力家で、感受性が豊かで、役の心情を追体験できる能力があるのでしょう。直美という役の難しさが上坂のための練習メニューとしてはぴったりで、役を演じながら異例の成長を遂げているのではないでしょうか。今後もどこまで役が深まるか楽しみです。

香原斗志(かはら・とし)
音楽評論家・歴史評論家。神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。著書に『カラー版 東京で見つける江戸』『教養としての日本の城』(ともに平凡社新書)。音楽、美術、建築などヨーロッパ文化にも精通し、オペラを中心としたクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)など。

デイリー新潮編集部

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