早大の演劇部エースと、バブル崩壊で仕事ゼロに…「堺雅人」と「阿部寛」、全く違う道を歩んだ「VIVANT」の名優

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阿部は高倉健と同系統

 一方、阿部はスター・パーソナリティ(俳優固有の存在感や魅力)を前面に押し出すタイプ。自分の型をどの作品でも崩さない。高倉健さん、渥美清さん、石原裕次郎さん、山崎努(89)らと同系統の俳優である。外国人俳優ならクリント・イーストウッド(96)、トム・クルーズ(64)らがこのタイプだ。自分が役柄の人物に染まるのでなく、役柄を自分の個性に合わせる。

 2人は軌跡も大きく違う。まず、堺は宮崎南高校時代から演劇部で活躍。早大進学後の1992年には学生を中心とする人気劇団「東京オレンジ」に参加。看板俳優となる。

 当時、堺のことは学生演劇人なら誰もが知っていた。演技力が際立っていたからだ。当然のように大手芸能事務所にスカウトされ、1995年にフジテレビのオムニバスドラマ「ハートにS」でデビューする。21歳の夏だった。

 小劇団の出身者は堺に限らず演技の幅が広い人が多い。その第一の理由は、俳優の数が限られていて、1人の俳優が子供役からお年寄り役まで演じなくてはならないからである。さまざまな役柄をこなせないと、小劇団での成功は難しい。

 堺より9歳年上の阿部の振り出しは雑誌モデルだった。中央大学理工学部2年生だった1985年、集英社の専属モデルとなり、『メンズノンノ』の表紙を43回も飾った。彫りの深い顔立ちで身長1メートル89センチの長身。男女を問わず当時の若者の憧れとなる。

 その勢いに乗り、1987年には映画「はいからさんが通る」で俳優デビュー。大ヒット漫画の実写化で、主人公役の南野陽子(59)の相手役。これ以上ない第一歩だった。

 ところが、その直後から壁にぶつかる。オファーされる役柄はステレオタイプの二枚目役ばかり。「モデル出身で、いい男とか身長が高いとか、そういうイメージの役が多かった」(阿部、読売新聞大阪夕刊1996年6月1日)。演技を学んだことがないのもハンデになった。

 やがて仕事が減っていった。1990年代前半のことだ。それは阿部にとって死活問題だった。阿部は後に当時のことをこう振り返った。

「マンションを買っちゃってたんですよ。(東京の)世田谷に。バブルのピークで、必ず上がるって言われて、自分でもそう思ったし。それが1年後にバブルは弾けて、ボクの仕事も弾けちゃって(笑)。それまであったCMも1本もなくなっていたし、もちろん役者としての仕事もないし。本当に真剣に深刻。どうしようかと思いましたよ」(日刊スポーツ2002年10月27日)

 この時点で終わってしまう俳優もいる。だが、阿部には名伯楽が付いていた。3年前に勇退した元所属事務所の社長・茂田遙子さんである。阿部を世に出すために力を尽くした伝説的な人だ。

 茂田さんは阿部の才能と将来性を信じて疑わず、連日NHKに通い、役を与えてくれるよう頭を下げ続けた。その献身ぶりは同局内で語り草になった。

「男たちの旅路」(1976年)や大河ドラマ「獅子の時代」(1980年)で制作統括を務めた名プロデューサー・近藤晋さんは何度かこう話していた。

「芸能事務所の皆さんは例外なく売り込みに熱心ですが、茂田さんのような人はいない。毎日来て『阿部に合う役はありませんか』と尋ね続けたのですから」

 茂田さんの努力は実を結び、NHKのスペシャルドラマ「チロルの挽歌」(1992年)に阿部が出演することが決まった。高倉健さんの主演作である。阿部の役柄には名前すらなく、台本には「作業員C」と書かれていたが、それでも本人は大喜びだった。

健さんの背中

 阿部は健さんの人柄や、仕事に向き合う姿勢に触れ、大いに刺激を受けた。エキストラ同然である自分に対し、ほかの俳優と同じ態度で接してくれたことに感動した。阿部は自著『アベちゃんの悲劇』(集英社)にこう書いている。

「(健さんと接したことで)役者としてやらなければならないこと、役者の苦悩、こだわり、楽しさ、そして何よりもスターとしてのオーラ、そういうものがまるで厚い雲の間に一筋の光が射すかのように、ハッキリと見えはじめた。その時から何かが吹っ切れた」

 翌1993年から3年間は、つかこうへいさん作・演出の舞台「熱海殺人事件~モンテカルロ・イリュージョン~」に主演する。ゲイの刑事役だった。哲学者的な一面もあったつかさんの厳しい指導により、阿部の演技は深まった。阿部とつかさんをつないだのも茂田さんである。

 茂田さんは阿部が時代劇にも出始めた1990年代、身長の高さで悩むと、NHKの制作者に対処法を聞いてまわった。1メートル89センチの阿部だと、畳などが小さく見えてしまう。群衆シーンの中でも浮く。制作者は茂田さんの熱意に打たれ、肩を落として身を縮める演技などを教えた。

 本人の研鑽と名伯楽の存在があって、阿部は日本を代表する俳優の1人となった。2011年には日本テレビによるドラマ版「幸福の黄色いハンカチ」で主人公の島勇作を演じた。1977年の映画版で健さんが演じた役柄である。 

 2018年にはやはり健さんが映画で主演した「遙かなる山の呼び声」のNHK BSのドラマ版に主演した。大俳優との出会いをただの感激で終わらせず、その背中を追ったのが阿部の凄さだ。

 堺と阿部の共演ドラマはNHK「五瓣の椿」(2001年)、フジ「空中ブランコ」(2005年)に続き、「VIVANT」が3作目。そう簡単には実現しない顔あわせだから、それだけでも視聴者を惹き付ける。

高堀冬彦(たかほり・ふゆひこ)
放送コラムニスト、ジャーナリスト。1990年にスポーツニッポン新聞社に入社。放送担当記者・専門委員として、1994年のNHK連続テレビ小説「春よ、来い」のヒロイン途中交代や、1999年のフジテレビ「愛する二人別れる二人」のやらせ問題などを特報する。2015年に毎日新聞出版へ入社し、サンデー毎日編集次長を務める。編集者としては「小池百合子都知事の真実」などを担当した。2019年に独立。元・放送批評懇談会出版編集委員。

デイリー新潮編集部

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