「板東さんですよね?」と聞いても「違います」と…板東英二さん(86)死去 近隣住民にも素性を明かさなかった寂しき“晩年”
今も破られぬ大記録
「すでに板東さんは転居していましたが、マンションの住民に聞くと彼が住んでいたことは有名だったそうです。ただし、エレベーターで一緒になった際、『板東さんですよね?』と聞いても『違います』と言って下を向いていたといいます。体調が悪そうには見えなかったものの、歩き方は少しヨタヨタしていてマンションの前で転んでしまったこともあったとか。近くの商店街でもよく見かけ、フリーマーケットではブルーシートを広げて私物を売ったりしていたようです。近所にはグラウンドもあって、バットとグローブを持って少年野球の練習を見に行くこともあって、子どもたちにアピールしようとしたようですが、彼らは板東さんが野球選手だったことを知らなかったとか……」
それはそうだろう。50代でも板東の現役時代を知る人はいないはずだ。しかも、野球選手として最も有名なのは甲子園での活躍だ。
1940年に満洲で生まれた板東は、5歳の時に日本に引き揚げてきた。その後、父の故郷である徳島県板東町(現・鳴門市)に移り、中学時代に野球に出会う。県立徳島商業高校では野球部のエースとして活躍し、58年、3年生の春季四国大会では準決勝の高知商戦で延長16回を投げきってサヨナラ勝ち。続く決勝の高松商戦では延長25回を投げきったものの敗退。準決勝と決勝で計41回を投げた板東の活躍は全国紙でも報道され注目されたという。
そして徳島商は同年の夏の甲子園に出場する。板東は初戦の秋田商戦を17奪三振で完封。続く八女戦でも15奪三振、準々決勝の魚津戦では延長18回を投げきり25奪三振を記録するも0対0で再試合に。翌日の試合では9奪三振を取って勝利。準決勝の作新学院戦も14奪三振で勝利。決勝の柳井戦では敗れたが、大会通算83奪三振の記録は今も破られていないし、今後も破られることはないだろう。
引退後に大活躍
翌1959年、中日ドラゴンズに入団するも甲子園ほどの活躍は残せなかった。通算11年のプロ生活は77勝65敗で終わった。
だが、彼の本領が発揮されたのは引退後だった。タレント活動である。芸能記者は言う。
「元プロ野球選手ということでテレビ出演は野球中継の解説者から始まりましたが、そのしゃべりが注目されました。バラエティやクイズ番組にも出演するようになり、10年続いた人気番組『マジカル頭脳パワー!!』(日本テレビ)では司会も務め、『世界・ふしぎ発見!』(TBS)では黒柳徹子さんとともに回答者として番組を盛り上げました」
ちなみに、1996年に発行された「全国高額納税者名簿」(東京商工リサーチ)を見ると、前年の板東の納税額は6223万3000円。トヨタの経営者も名を連ねる愛知県(板東は愛知県で納税していた)で186位だった。
「歌手としても古巣ドラゴンズの応援歌『燃えよドラゴンズ!』が大ヒットし、役者としては映画『あ・うん』で高倉健さんと共演して日本アカデミー賞の最優秀助演男優賞を獲得、ドラマでは“金妻”こと大ヒットシリーズ『金曜日の妻たちへ』(TBS)にも出演するなど大活躍でした」(同・芸能記者)
一昨年に放送されたドラマ「不適切にもほどがある!」(TBS)では何度も“金妻”がネタにされ、「坂東英二ですらモテたんだから」という主演の阿部サダヲのセリフに、SNSでは「本人が登場するのでは?」とささやかれた。だが、彼の出演はなかった。
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