音大を諦め、家業と育児で歌から離れた秋元順子(79) “騙し討ち”の9年ぶりステージで遅咲きの歌手人生が始まった
58歳にしてメジャーデビューし、3枚目のシングルとなった「愛のままで…」で、NHK紅白歌合戦に61歳6か月という紅組史上最年長での初出場を果たした歌手の秋元順子(79)。結婚後、家業の生花店や家事・育児に邁進するため、一度は歌から離れていたものの、思い断ちがたく、再び舞い戻った歌の世界でデビューをつかみ取った。秋元にとって歌とは……。
(全2回の第1回)
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小中高で音楽熱の高まり 音大志望も家庭事情が許さず……
ラジオから流れる美空ひばり、島倉千代子、三橋美智也らの曲を聴きながら真似をし、自然と歌うことが好きになった子ども時代だった。
「近所のおばさまたちが『順子ちゃん、また歌って』と言ってくれて、歌うと『いい声ね』とか『上手い上手い』と。そう言われると子どもは純粋に喜びます。褒められて自信が持てるようになりましたね」
音楽を愛する心はさらに育ち、小中高ではずっと音楽クラブや音楽班に入って活動した。
「小学校の音楽クラブでは、合唱や合奏の『こども音楽コンクール』に出場し、トライアングルを担当しました。中学生になってからはシロフォンも演奏するようになりました」
高校ではオペレッタも。出演するだけでなく、演出も手掛けた。
「シンデレラの『意地悪お母さん』役をやりました。先生にアドバイスをもらいながら演出し、衣装係も兼ねました。1つのものをみんなで作り上げることがすごく楽しかったんです」
音楽熱はさらに高まり、音大を志望したが、家庭の事情で叶わなかった。
「家計を助けてほしいと言われて石油会社に就職しました。そこに『ハワイアンクラブ』があったんです」
ハワイアンバンドでジャズ、シャンソン、歌謡曲……なんでも歌う
ハワイアンクラブとは会社の音楽同好会のこと。血が騒いですぐに入部し、そこでのバンド活動をメインにしながら、そのほかにも2つのバンドに所属した。主にボーカルを務め、ハワイアンジャズにラテン、日本の歌謡曲などをジャズアレンジで歌う――。歌手・秋元順子の礎はこの時期に作られ始めた。
「バンドのリーダーに、スティールギター奏者でジャズ好きの方がいたんです。その人に『ジャズも歌った方がいいんじゃないか』と勧められたんです。メンバーも非常に才に長けていたので、ジャズ、ラテン、シャンソン、カンツォーネ、民謡となんでもできたんです。私はそれを全部歌いました。ただ声が低かったので、本場のハワイアンの曲は難しかった。普通ならピアノやウッドベースで歌うようなジャジーな曲を、スティールギターとエレキベースで歌うことも。それが自分の糧になり、今の自分の基本のひとつになりましたね」
ジャズで歌う「アイ・ラブ・ユー」の言葉が、ラテンでは「テ・キエロ」になり、表現の仕方も変わる。色々なジャンルを学びながら自身に落とし込んでいった。
「ただ覚えてうわべで歌うのではなく、どの曲でも歌の中の主人公になりきることができる。それは今も私の強みと思っています」
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