音大を諦め、家業と育児で歌から離れた秋元順子(79) “騙し討ち”の9年ぶりステージで遅咲きの歌手人生が始まった
妊娠を機にバンド活動を「小休止」
石油会社に勤務して6年が経過し、24歳で寿退社した。バンド活動は続けていたが、妊娠を機にステージには立てなくなった。
「3つのバンドのうち、最後まで活動していたバンドの人たちに『お腹が大きくなってハワイアンドレスが着られないから、ちょっと休むわね』と言いました。やめるのではなく休むことを強調したんですが、リーダーに『ちょっとじゃないだろう』って言われて。確かに3年後に下の子が生まれたので、都合9年ぐらい休んじゃいました(笑)」
だが音楽好きの性分は変わらない。家事・育児に加え、夫が営んでいた生花店にも携わり、忙しい日々を送る中でも、“すき間時間”をうまく音楽に活用した。
「台風や大雨だとお客様は来ないので、店を閉めて、有線放送をかける。いいなと思う曲があったらタイトルを問い合わせて、休みの日にレコード屋へ買いに行く。そんな風にして新しい曲を覚えていました」
当時知ったのは、ナット・キング・コールやフランク・シナトラ、ドリス・デイ、ジュリー・ロンドンらの、スタンダードジャズがほとんど。後に自身が歌うことになる歌謡曲は、まだ積極的には聴いていなかったそうだ。
「自分が歌謡曲に行くとは当時は思っていませんから(苦笑)。当時一番歌いたかったのはラテンで、トリオ・ロス・パンチョスがよかった。彼らのアルバムを買ってきて、自分が歌える曲をピックアップして覚えました。『ベサメ・ムーチョ』『テ・キエロ・ディヒステ』『キエン・セラ』などが好きでした。それからジャズへと……」
食事会に呼ばれたはずが復帰へ
再びバンドで歌うことになったのは、半分“騙し討ち”だったという。
「最後まで一緒にやっていたバンドの人たちからは、復帰の数年前から、夏になるたび『人手が足りない』と打診があったんです。でも子どもを2人見ながら、自分も花の仕入れや配達に行っていて、物理的に無理だと断っていた。ところがあるとき『食事会をするから来て』と言われ、主人も『食事会だけなら』と送り出してくれました。そうしましたら当日に『新しいメンバーが加わったので再結成する日だ』と言われて。騙されました(笑)」
東京・原宿にあったハワイアンの店での出来事だった。断ったものの、「1曲だけ歌ってよ」と頼み込まれ、ステージに上がると客席はすでに満杯。以前にバンドで歌っていた「南国の夜」を歌い終えると万雷の拍手が湧いた。
「メンバーが得意になって演奏していたので、私も得意になって歌っちゃって。久しぶりなので声なんて出ないだろうと思ったら、出ちゃったんです。みんなに『声出るじゃん。それだけ出るならやろうよ』と言われ、自分も血が騒いできて。すぐ主人に電話して『こういうわけで再結成に加わろうと思うんだけど』と言ったら、簡単に『うん、いいよ』って。家へ帰って再確認したら『今までの歯車をどこも削ることなくできるならいいよ』と」
歯車――家事だけではなく、生花店の仕事や従業員の管理などを、当時、秋元は担っていた。しかも、結婚当初に比べると、従業員も店舗も増え、シフトを組んでいたのも秋元だった。
「3回あったバンドのリハーサルのうち、参加は1回にしてもらい、リハーサルと本番の2日間は、生花店のシフトを組み替えて、活動を続けることができました」
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