「男系男子」は本当に“伝統”なのか…歴史学から見えてくる“神話と明治のイデオロギー”
神話を根拠にしていいのか
男系男子による継承にこだわる政治家には、「神武天皇以来」と強調する人が多いが、やはり違和感をいだかざるをえない。歴史学の観点からいえば、現在の皇室の起点とされるのは第26代の継体天皇で、考古学的に実在が確認できるのは、第21代の雄略天皇からである。
15代の応神天皇から前、あるいは10代の崇神天皇より以前は、客観的な史料でたどることができず、神話や伝説である可能性が高い。それに天皇が「大王(おおきみ)」といわれていた時代には、即位にあたって血縁よりも実力が優先されたと考えられている。継体天皇もそうして即位した。血縁による継承の傾向がたしかに定まったのは、34代の舒明天皇からだとされる。
だが、歴史学の成果を尊重しなければならないという法はないので、「神武天皇以来」と個人的な見解を述べるのは構わないだろう。しかし、何代かの天皇は実在すら確認できないことに変わりはない。それなのに、神話かもしれない不確定な言い伝えを根拠に、皇室典範の改正案が閣議決定されるとしたら、日本は物事を事実にもとづかずに決める国家ということになってしまう。
では、実在が確認できる継体天皇以降は、男系男子によって皇位が継承されてきたのだろうか。古代の律令の基本法典のひとつで近世まで効力があった「継嗣令」では、男系による継承を前提としつつ、女系による継承が否定されていたわけではなかった。
宮内庁が管理する「皇統譜」では、これまで例外なく男系で継承されてきたことになっている。だが、一般論をいえば、江戸時代までの日本では、権威づけたり家格を維持したりするために、家系図は意図的に創作されることが多かった。
考えれば考えるほど非現実的
いずれにせよ、明治政権を樹立した薩長の下級武士たちに利用され、憲法や皇室典範によって厳格に位置づけられる前の皇室は、もっと自由だった。江戸時代は徳川幕府によって政治からは切り離され、禁中並公家中諸法度によって手足を縛られてはいた。それでも「万世一系」や「男系男子」という言葉でがんじがらめになることはなかった。
なるべく男系で継承できれば、という程度のゆるい意識のなかで皇統は継承されてきたのに、薩長藩閥に利用され、「神武天皇から一度も血統が途絶えることなく男系で継承されてきた」という、絶対的な国体イデオロギーの体現者にされてしまった。行き着いたところは先の戦争だが、日本の伝統がゆえに戦争が起きたのではなく、日本の伝統を創作したがゆえに戦争が起きたのである。
男系男子による皇位継承にこだわる人たちは、今後、どうやって男系による系統が守れると考えているのだろうか。旧宮家の子孫を養子に迎え、その子が即位した場合には、皇統は室町時代に分家した系統に移ることになるが、それで本当に皇位の継承といえるのだろうか。だが、その前に、望んで養子になる旧宮家の男性がいるのだろうか。その人のもとに男子が生まれるのだろうか。考えれば考えるほど、非現実的な話に思えてくる。
だが、非現実とわかっていても突き進むとしたら、過去の歴史に見られたなにかが想起されてしまうが、その先はやめておこう。「女系天皇を認めるしかない」。それしか皇統を存続させる道はないと思うのだが、同時に、非現実的な要素を除外して考えたとき、それがもっとも皇室の伝統に近い選択だと思うのである。
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