「耳の痛いことを言うと“反高市だ”と言われてしまうが…」 小渕優子氏の「突如の辞任劇」の背景 「言うべき時は言わないといけない」
【前後編の後編/前編からの続き】
果たして反高市の狼煙(のろし)なのか、ポスト高市への布石か……。一人の女性議員の決断に永田町ではさまざまな臆測が飛び交う。高市早苗首相が切望する「消費減税」を巡って大混乱の自民党税制調査会で起きた辞任劇。背景には政界サラブレッドならではの憤激があった。
***
【写真を見る】髪が長いと別人のよう… 「26歳」小渕優子氏の“初々しい笑顔”
前編では、自民党内では一途で従順と評判だった小渕優子元選挙対策委員長が、税制調査会の非公式幹部会合メンバー、通称インナーを突如辞任した経緯について報じた。
ご存じの通り、小渕氏の父・恵三氏は、竹下登政権の官房長官として、新元号「平成」を発表したことでも知られる。首相の座を射止めてからは、自自公連立、九州・沖縄サミットの実現に向けて奔走。2000年の首相在任中に脳梗塞で倒れ、約1カ月後に帰らぬ人となった。
亡き父の後継として地元・群馬から出馬した小渕氏は、昨年末に議員生活25年の節目として『わたしと父・小渕恵三』(講談社)を出版している。
ページをめくると、今回の辞任劇につながる逸話がいくつも記されていたのだ。
例えば、かつての小渕政権は、バブル崩壊後の不況の最中、中小企業救済のために減税を伴う巨額の財政出動を行っていた。
その際の様子を小渕氏はこう書いている。
〈一九九九年十二月、父は愛媛県で開かれた街おこしイベントで、突然、次の様に話し始めました。/「世界一の借金王になってしまいました。(借金を)六百兆円も持っているのは日本の総理大臣しかいない」(中略)父は竹下内閣の官房長官として消費税の創設に奔走したこともあって、国の財政については強い思いを持っていました。これだけの財政出動について、「万死に値する」とも言っていました〉
「お父さんの考え方、遺志を非常に大切に」
財政規律を尊ぶ父の背中を見て育った小渕氏は、12年12月に発足した第2次安倍晋三内閣で財務副大臣として入閣を果たした。
大蔵省時代を含めて初の女性三役で、時の財務相は現・自民党副総裁の麻生太郎氏だった。
この頃の日々を小渕氏は、
〈税金を徴収するということがいかに重要かつ大変で、国家にとって財政の信用を保つことがどれほど大事なことかを徹底的に学びました。この経験は、私の政治家人生のターニングポイントだったと言っても過言ではありません〉
同書の編者でもある政治ジャーナリストの青山和弘氏に聞くと、
「小渕氏は、お父さんの考え方、遺志を非常に大切にしている政治家です。竹下内閣は国民の猛反対を受けながら消費税を導入して、それと引き換えに退陣しました。また当時、恵三氏は税調のドンと呼ばれた山中貞則氏とも仲が良かった。山中氏が率いた税調は税の基本的なあり方を重視してきました。そうした先人のあり方を学び受け継いできた小渕氏からすれば、今回のように財源の議論がないまま減税することには、納得がいかなかったのではないでしょうか」
次ページ:「耳の痛いことを言うと“反高市だ”と言われてしまうが……」
[1/2ページ]



