オープンカーで六本木を流しても気づかれない、銀座で「お名前は?」…それでも“懐メロ枠”を拒む65歳・田原俊彦

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10代の頃から「これで生きていく」

――田原俊彦が47年アイドルを続けてこられた理由がそこにある、と。

「そうだね。それが継続できている証拠だね。やっぱりチームワーク、ファミリーの結束力も大きいと思う。あとはこの仕事が好きで、10代の頃から『これで生きていく』っていう覚悟でずっとやってこられたことも大きいんじゃないかな。

 世の中のことを何にも知らない15歳が、生意気にも『この世界に入って天下取るぞ』なんて言って甲府から上京して、たまたま時代の流れに乗っかって田原俊彦という役割をいただけたというね。

 芸能界に限らずこの世界って今、座っている席を一度でも立ってしまうと、必ず誰かがそこに座ってしまうんだよ。だから面倒な時でも辛い時でも座り続けているんだよ。だって僕は自分のポジションを失いたくないからね。その気持ちがあるから今もこうやって続けられているんだよ」

――長く活動を続けていても「懐メロ枠」に入らないのが松田聖子さんとトシちゃんの2人です。

「懐メロチックにされるのは、嫌だからね。僕がリスペクトする沢田研二さんや矢沢永吉さんを始め、いろんな先輩が、まだまだ頑張っているから、僕もステージで体を張って歌い続けられる人間だと、いつまでも証明したいですし、そのプライドを持って、やれるところまでやり続けたいな」

――何歳まで続けたいですか。

「体が動くうちは何歳でも続けたいけれど、70歳まではこのまま頑張りたいですね。僕も前期高齢者なんだけどね」

――その呼び方が一番似合わない方ですよね。

「金八先生の頃は一番若かったけれど、今はどの現場でもスタッフより年齢が一番上になっちゃったから。オープンカーで六本木を走っていても誰にも気付かれなくなってしまったし、銀座で買い物して会計の時、店員さんに『お名前は?』って聞かれちゃってさ(笑)。もっと頑張らないとね」

――十分に頑張ってらっしゃいます。ところで新曲はディスコナンバーということで、最近の“夜の遊び”はいかがですか。

「また変なことを聞くな。週3で六本木だよ。……30前後の頃な(笑)。もともとお酒は弱いから、ディスコではずっと踊ってたんだよ。VIPルームにいると女の子が集まってきてモテまくっていたよ。それが豪快かと言われたら、他の芸能人に比べたら全然そんなことはないんだけどね。

 振り返ってみると最高にハッピーな人生を送ることができているし、こんなにいい思いができる人ってなかなかいないから、田原俊彦はやめられないですね。ずっと人に見られたり、カメラマンに追いかけられたり、時には世間から叩かれたり……。プライベートは大変なことが多かったけれど、まだまだこのポジションは誰にも譲りたくないよね」

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 第3回【「モテたい」「カッコいい車に乗りたい」 65歳・田原俊彦が今も全力で走り続ける、意外なほどシンプルな理由】では、アイドルになった原点などを語っている。

田原俊彦(たはら・としひこ)
1961年、山梨県生まれ。1979年に「3年B組金八先生」(TBS系)の沢村正治役でデビュー。同ドラマで共演していた同じ事務所の近藤真彦、野村義男と3人でたのきんトリオとして人気に。1980年に「哀愁でいと」で歌手デビュー、スーパーアイドルとして活躍。俳優としてもフジテレビ系ドラマ「ラジオびんびん物語」や「教師びんびん物語」といった「びんびん物語シリーズ」の作品で主演を務める。2026年6月17日に通算82枚目のシングル「ナニコレ最高!!!」をリリースし、7月23日から全国ツアー「Dance with KING of IDOL 2026~パーティはこれからだ!~」をスタート。

福嶋 剛
ライター。1971年生まれ。TV局映像編集、ロケーションコーディネーター、音楽サイトの編集長、ニュースサイトの記者などを経験。ベテランアーティストや元アイドルのインタビューをはじめ、イベントの進行役などエンタメを中心に活動中。

デイリー新潮編集部

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