“殺しの龍玉”と呼ばれた唯一無二の語り口 「落語界にとってかけがえのない存在」蜃気楼龍玉さんが急逝【追悼】

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 物故者を取り上げてその生涯を振り返るコラム「墓碑銘」は、開始から半世紀となる週刊新潮の超長期連載。今回は6月11日に亡くなった蜃気楼龍玉さんを取り上げる。

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“殺しの龍玉”

 蜃気楼龍玉(しんきろうりゅうぎょく)さん(本名・加藤暢彦)の名は誰もが知っているとはいえないが、落語界ではかけがえのない大きな存在だった。演目の幅は広く、中でも怪談噺(ばなし)の語り口に定評があった。

 落語評論家の広瀬和生さんは振り返る。

「人間のどろどろした情念や欲が反映された幽霊の姿が、龍玉さんによってお客の内面を揺さぶってきて怖いのです。お客をすんなり江戸の世界に連れて行き、夜の闇の深さを感じさせ、事態を一緒に体験している心地にさせた。人をあやめる場面も出てきますが、殺すまでの気持ちの移ろいやすごみ、殺される側の心理も自然と表現していた。称賛の意を込めて“殺しの龍玉”の異名を取りました」

 1972年、埼玉県秩父市生まれ。師匠は2023年に人間国宝に認定された六代目五街道雲助さん。滑稽噺や廓噺に加え、続き物の人情噺や怪談といった重厚長大な演目を手がけてきた古典落語の重鎮である。

 落語に特別な興味は持っていなかったが、雲助さんの「富久」を聴いてほれ込んだ。富くじと火事を巡り人の優しさが伝わってくる噺だ。弟子入りを断られても粘り、97年に入門。

 師匠から教わった通り、口調、声色をそっくりまねて演じた。00年、二ツ目に昇進して金原亭駒七、05年に五街道弥助と改名。

「模倣でも、師匠の幅広い芸をしっかり吸収したのが結果として良かった。3人の弟子それぞれが自分に合うものを強みにして成長した。1番弟子の三代目桃月庵白酒(とうげつあんはくしゅ)さんは滑稽噺、2番目の四代目隅田川馬石(すみだがわばせき)さんは人情噺、3人目にして最後の弟子、龍玉さんは重厚長大な部分が持ち味になっていきました」(広瀬さん)

役の心になりきる

 10年、真打に昇進し三代目蜃気楼龍玉を襲名。「牡丹灯籠」、親の代の刃傷沙汰が子供の人生を狂わせていく「真景累ケ淵」など初代三遊亭圓朝が創作した長編の怪談噺に関心を深める。

 落語に造詣の深い作家の吉川潮さんは言う。

「長い噺は儲からないといわれます。寄席は15分程度の噺が基本で、独演会などの形式でなければ長編は演じるのが難しい。登場人物も多く、覚えるのも一苦労です。龍玉さんは損得で考えなかった。根底には雲助師匠への敬愛の念がある。師匠と同じく役の心になりきることを何より重んじた」

 毒を手に入れた者が次々と人をあやめる長編「緑林門松竹」を何回かに分けて演じたこともあれば、2時間余りをかけ通して語り切ったことも。大した集中力だ。

「お客を引き込み、飽きさせない。自分らしさを強調せず、物語そのものを大切にしていた」(吉川さん)

 長い噺で登場人物の描き分けは鍛えられたが、演じ過ぎると落語ではなくなってしまう、長編の影響で滑稽噺が重たくなってはいけない、と自戒していた。

「泣ける噺、笑える噺にお客の好みが集まる中、落語は生活全般を題材にしていると考え、後味が悪く救いがない噺もする。落語が好きだからやる。気負いや義務感、奇をてらう様子などはなかった」(広瀬さん)

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