「スキャンダルがあったわけでも、政策が変わったわけでもない」 衆院選で少数与党になったとき、石破首相が考えていたこと

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 石破茂氏の首相在任時代を振り返る連続インタビュー。今回は衆議院選挙での敗北から2024年末までについて語ってもらった。石破政権は発足直後から少数与党での厳しい国会運営を迫られた。世間では「短命政権」との見方も広がったが、石破氏本人は「辞める理由はなかった」と振り返る。その理由とは何だったのか。

少数与党になっても変えなかったこと

――前回のインタビューでは2024年の自民党総裁選からの2か月ほどを振り返っていただきました。今回は総選挙(同年10月27日)から2024年末までの2か月間について伺っていきます。あまり振り返りたくない話題なのかもしれないですが、ともあれ総選挙によって衆議院では少数与党となりました。これによってご自身の考え方や内閣の方針はやはりかなり変わったのでしょうか。

 特には変わらなかったですよ。選挙前の、衆議院で多数を持っている時も、国会、特に委員会は説明の場だと考えていました。質問や審議の時間は議席配分によって変化しますから、野党の質問に答える時間が増えただけのことで、もともと丁寧に説明しようという考え方でしたから、まったく変わるものではありませんでした。

――国会で丁寧な議論をしなければならないというのは石破さんの長年の持論ではありますよね。国会質疑、とりわけ予算委員会では「本質的な議論」をすべきだ、といった文章が著書『異論正論』にはあります。ただ、あの局面でそういう正論を言っても、偽善だとかカッコつけているだけみたいに受け止められる懸念などはなかったんでしょうか。

 どう受け止められるかはこちらで操作できませんからねえ。私の言っていること、考えていることは昔から変わっていませんけど。

――世間では「このままでは政権運営がうまく行かず、追い込まれてどうせすぐ辞めるだろう」という観測も出ていましたよね。辞めようなどとは思わなかったのですか。

 比較第一党ですから、政権を他の党に譲り渡すということは、もとより考えられないことです。自民党の中では、責任取れ、みたいな話が出るかもしれないとは思いました。

 選挙に負けてすぐに政権が変わったというのは、私の記憶だと、宇野(宗佑)さんと橋本(龍太郎)さんが大敗して辞めた時くらいではないでしょうか。

 宇野さんの場合は、主な理由はスキャンダルでしたからね。橋本さんの場合には、消費税についての発言が途中でぶれたのが大きかったのかな。

 私のときは、やっぱり解散のタイミングが早すぎたのだろうと後から考えれば思います。総裁選挙の時にはきちんと本会議と予算委員会をやってから解散すると言ったのに、結局は党首討論だけやって総選挙に突入してしまいましたから。そこはちょっと……いやすごく悔いているところです。しかし前回もお話しした通り、党内で国会を開いてから解散することに賛成してくれる人はいませんでしたから、実際にできたかというと、できなかったんじゃないかな。

 ともあれ、スキャンダルがあったわけでも、政策が変わったわけでもないし、比較第一党である以上、常識的には他党に政権が移るという状況ではなかった。だから辞めなきゃいかんとは思わなかったですね。

――「最短政権」になるのでは、といった見立てを書いているメディアもありましたが。

 そうですね、でも私はそんな感じは全くしていませんでした。まあ、そうしたい、あるいはそうさせたい人たちがいたんでしょう。そういう感じは今まで連綿と続いていますし。

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