「スキャンダルがあったわけでも、政策が変わったわけでもない」 衆院選で少数与党になったとき、石破首相が考えていたこと

国内 政治

  • ブックマーク

比較第一党をどう考えればいいのか

――比較第一党というものをどう考えればいいのか、という点について実は政治家もメディアも考えが整理できていなかったようにも思います。そこはどうなんでしょうね。

 原則としては、比較第一党党首が首班指名を受けるということになるのでしょう。それは「ようやく比較第一党」というのではなく、「過半数に近い比較第一党」という場合には、ということだろうと思います。

――論理的にはその通りでしょうが、当時はこのまま政権交代もありえるかのような雰囲気も出ていたように記憶しています。あるいは自民党の政策が全否定されたかのような感じとでもいいましょうか。

 そんな状況で国民民主党との協議が始まります。公明党の代表は石井啓一氏から斉藤鉄夫氏に代わりました。また先ほど、政権の方針その他は変わらないとは仰いましたが、実際には周囲の状況は大きく変わったわけですよね。この変化はどう捉えていましたか。

 うーん、だから、自公で過半数を割った以上、どこかと協力をしないといけない。それで一番政策が近いのは、国民民主党だろうと考えたわけです。

 私はそれまでそんなに国民民主党との付き合いがあったわけではなかったのですが、憲法調査会で、毎回のように玉木(雄一郎)さんが熱心に発言をしていたのは知っていました。彼の政治的なスタンスは自民党に近いっていうよりも、私に近いなとも思っていた。だから国民民主党と連立はなくても連携は当然ありだと思いましたね、うん。

 公明党の石井さんは、お互い野党の頃に政調会長同士で、その時からお付き合いもありました。人格も立派な人です。だから交代は残念ではあるけれども、公明党内の理由があったのでしょう。

 むろん、そのあとに就任した斉藤さんも立派な方だと思っていましたから、協議に支障が出るようなことは全くありませんでした。

――少し話が先に進みますが、高市政権が生まれて直後、斉藤さん率いる公明党が連立から離脱しました。それは石破さんとの間に特別な絆でもあったから、というような事情でもあるのかな、とも想像したんですが、どうなんでしょうか。

 いや、あの離脱について斉藤さんとは何ら話はしていません。

 ただ、斉藤さんとは同じ中国地方選出という共通点があり、鳥取に度々来られていたこともありました。また、麻生内閣では斉藤さんが環境大臣で、私が農水大臣でしたし、閣議の時に席が隣だったりと、折に触れてご縁をいただいていました。だから石井さんの後に斉藤さんになったことは私にとっては嬉しいことではありました。

――石破内閣において公明党との関係は良好だったのでしょうが、一方で、たとえば憲法についての考え方は合わないですよね。そのへんは切り離してつき合うということになるのでしょうか。

 うーん、やはり公明党さんには創価学会という大きな支持母体があるわけですよ。党の意向もさることながら、平和というものについて創価学会には確固とした考え方があり、創価学会の方々に私の憲法観などをご理解いただくまでの道はすごく遠いと思っていました。だから、そういうことについて議論はしなかったですね。

――その種の議論はあえてしなかった、と。

 しなかった。

 ***

 新潮QUE掲載の【1年間の回顧録 「官邸は和気あいあいとしていた」「媚中というレッテル貼りは無意味」――総選挙敗北以降、何が起きていたのか】では、国民民主党との協議が進行しなかった理由、「媚中」といった見方への反論など、あらゆる質問に石破氏が包み隠さず答えている。

デイリー新潮編集部

前へ 1 2 次へ

[2/2ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。