スウェーデン戦で歓喜のゴール「前田大然」 覚醒を促した「部活謹慎」からの復活と「母の涙」
サッカー部での活動停止
大阪出身の前田はサッカーの英才教育を受けたわけではなかった。それどころか、サッカーを2歳で始めた久保建英(レアル・ソシエダ)や3歳で始めた鎌田大地(クリスタル・パレス)などに比べると、小4の10歳というのは遅すぎるかもしれない。だが、彼は持ち前の俊足で頭角を現し、山梨学院大学附属高校に入学する。2010年に全国選手権で優勝した強豪校に憧れていたという。もっとも、ここで前田はトラブルを起こす。
「1年生の時、監督の先生から『お伝えしたいことがありますので、山梨まで来てほしい』という電話が。夫婦で向かうと『前田君の仲間への“いじり”がエスカレートして部の規律を乱している。他の保護者からもクレームが来ています。このまま部に置いておくわけにはいきません』と言われて寮から出て行くことになりました」(幸枝さん)
サッカー部からの除籍である。サッカーをやるために大阪から山梨まで来たのに、それができなくなっては元も子もない。本来なら転校も考えられるところだが、彼は同じチームでサッカーをやりたいと、高校に残る決断をした。
「学校の近くでワンルームを借り、私が週に一度は山梨に行って一緒に過ごすようにしました。本人は近くの山を走ったり、アパートの壁で壁当てをして、絶対にサッカー部に戻るんだ、と。周りもみんな親身になってくれ、あの頃、私は夜行で帰るたびに、バスの中で涙を流していたものです」(同前)
ブラジル相手に「勝てる」
それから約1年後、前田のサッカー部への復帰が認められる。いわば謹慎のようなものだった。それだけに、ネット上で言われているような“いじめ”ではなく、幸枝さんが語っているように“いじり”だったのだろう。もっとも、この年齢でのブランクは決して小さくない。それでも高校3年で出場したプリンスリーグ関東では12ゴールを挙げて得点王となった。
高校卒業後は松本山雅に所属。その後、水戸ホーリーホック、ポルトガルのCSマリティモ、横浜F・マリノスを経てセルティックへ。長らくスキンヘッドがトレードマークだったが、娘に嫌がれたことで短髪になったという。
さて、日本代表は決勝トーナメントに進むことができたが、30日午前2時(日本時間)からの初戦の相手はC組1位のブラジルである。これまでの23大会すべてでW杯の本大会出場した唯一の国で、しかも5度の最多優勝を誇る、言わずと知れたサッカー大国である。前田は次の試合についてこう語っている。
「難しい試合にはもちろんなると思いますが、自分たちがこれまでやってきたことを出せれば勝てると思うので、リカバリーをしていい準備をしたい」
挫折から這い上がった強さを見せつけてもらいたい。
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