「これで日本全体が変わると」…終戦を機に女優を目指した「華族の令嬢」 戦後日本が「久我美子」に託したものとは【昭和女優ものがたり】
窓ガラス越しのキスシーン
翌年、黒澤明監督の「酔いどれ天使」(1948年)に出演する。終戦直後、肺を病むヤクザの三船敏郎と医者の志村喬が主人公だ。久我は同じく肺を患っているが病気と立ち向かおうとする女子学生。死に急ぐ生き方をする三船とは対照的に、未来への希望の象徴として描かれている。その姿はまぶしく輝き、久我の人気は沸騰した。
当時中学1年生だった演出家の久世光彦は、この作品を10回観たといい、久我の登場がいかに衝撃的だったかを記している。
「ぼくの街には、あんなにきれいな子はいなかった」「僕の〈戦後〉は、数メートル先をいく久我美子というお姉さんといっしょに過ごした〈戦後〉だった」(「文藝春秋」2002年2月号)
そして、久我の人気を決定づけたのが「また逢う日まで」(1950年)の出演だ。戦時下の昭和18年、召集をひかえる大学生・三郎(岡田英次)と惹かれあう画家の卵・蛍子を演じた。ここで映画史に残る名場面が撮影される。
雪が降りしきる日。蛍子の家から帰る三郎が外から窓に顔を寄せる。そこで2人はガラス越しにキスをするのだ。結婚を望む2人だが、そんな未来はやってこないかもしれない。そんな切ない思いが溢れる美しく清冽な場面だ。
厳しかった今井正監督
この作品での久我はデビュー当時と変わってほっそりとして、ノーブルで美しい。評論家の川本三郎は、空襲で命を落とす蛍子をこう書いている。
「それはあの戦争で死んでいった若い女性たちの化身のようなものだった。そして生き残った当時の日本人の多くは、『また逢う日まで』を見ながら、もし戦争で死んだ若い女性たちが生きていたらきっと久我美子のように明るい女性になったと思ったに違いない」(『君美わしく 戦後日本映画女優讃』)
久我はこの作品の撮影が一番辛かったと語っている。今井正監督が久我の演技に満足せずカメラを回さなかったのだ。
「徹夜、夜間、徹夜、夜間。一日おきに四時間しか寝られなかったんです。それが四十日間続いたんですから」(同)
しかし、後に今井監督の「にごりえ」(1953年)に出演した時、「久我君、どうしてこんなにうまくなったの? 本当によかったよ。この調子でやりなさいね」と褒められたという(「キネマ旬報」2000年11月下旬号)。
[2/3ページ]


