内臓を“肉挽き機”でミンチ状にしてごみ袋に入れ…一家5人を惨殺した不動産鑑定士 「骨まで粉々にしてやりたい」ほどの憎悪の正体とは

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犯行の発覚

 午後10時を過ぎていた。五人もの命を奪ったZはしばし、リビングのソファに腰かけ、遺体の処理方法を考えた。万が一、明日の夜までにすべての処理ができない場合は、あらかじめ杉並区内に借りていたアジトのマンションに運び込み、そこで処理を続行。遺体を富士の樹海に遺棄する予定だった。

 大胆にもZはその場で仮眠を取り、翌28日午前4時ごろに起きると、風呂場に行って遺体の解体作業を始めた。乗ってきた車のトランクから電動肉挽き機やノコギリ、ビニール袋などを持ち込みAさんの首をノコギリで切断、

〈次に骨すき包丁で胴体から手足を切り離そうとした。(略)さらに左足首、左ひざを切断した。同じ要領で、右手、右足も切り離した。次は、骨すき包丁で腹をさき、内臓を取り出した。この内臓を電動肉挽き機でミンチ状にし、ごみ袋にいれ、一部をトイレに流した〉(「週刊新潮」2004年9月2日号)

 そして遺体の一部をビニール袋に入れて玄関に移動させた。明るくなっても作業は続いた。この間、隣人の訪問を受けたが「昨夜のうちに夜逃げしたんだよ」と言って追い返している。そしてB子さんの遺体に取り掛かった。前夜から何も食べす、わずかな仮眠と休憩をとっただけで、ひたすら遺体の解体を行うZだったが、昼過ぎに石神井警察署の警察官がやってきて、犯行が明らかになった(連載第1回)。

〈鑑識や一課の刑事たちは文字通り、泥まみれになって裏付け捜査を行っていた。被害者らの血を洗い流したという(Zの)供述を確認するため、下水を採取し、血液反応を調べたのである〉(同)

 また、身辺捜査で、犯行当日、自宅を出ていくときはスーツ姿だったのに、現場では紺のジャージ上下だったことを追及すると、杉並区に借りたアジトの存在を自供した。捜査の指揮を執った、第44代警視庁捜査第一課長・田宮榮一氏の証言。

〈「(Zが)自分から決して話さなかったことがある。まず第一に、奴は内臓をミンチにするための機械を実はもう1台、購入していた。使用中に故障した時のことを考え、予備を用意していたんです。(略)遺体は車で富士の樹海に運び、遺棄するつもりだった。その際、もし天候が悪ければ、一時的に(杉並区内の)アジトに隠匿するなど、不測の事態に備えていたのです。(略)奴の誤算は、遺体の解体にこれだけ時間がかかると思わなかったことです」〉(同)

 逮捕当日のZはジャムトーストの夕食をたいらげ、「先に休ませていただきます」といって11時に就寝、いびきをかいてよく眠った。翌6月29日の夜は米飯、おでん、肉だんごの夕食をきれいに平らげ、夜9時にいびきをかきながら就寝、そして送検された6月30日は朝6時に起床し、マーガリンと食パン4切れ、お湯の朝食をきれいに平らげたという。

「残忍の一語に尽きる」

 昭和60年12月20日、東京地裁刑事第15部はZに対し、求刑通りに死刑判決を下した。

「一つの家庭が、そっくり消失させられるという甚大な被害を生んだ犯行は、残忍の一語に尽き、社会的影響も重大」

 傍聴席にはただ一人難を逃れ、12歳になった長女がいた。判決言い渡しの瞬間も、法廷を出た後も、表情は変わらず、報道陣の問いに答えることはなかった。Zは「犯行時は心神喪失あるいは心神耗弱状態にあった」として控訴、上告したが、平成8年11月14日、最高裁第一小法廷はZの上告を棄却、死刑が確定した。

 この時、23歳になっていた長女の姿は法廷にはなかったが、

〈すでに結婚、1歳5カ月になる娘がいる。1審判決を法廷で傍聴し、この日も「最後の法廷だから」と傍聴を望んでいたが、育児に追われ。来られなかった〉(毎日新聞 1996年11月15日付)

 平成13年12月27日、Zは東京拘置所で死刑を執行された。

【第1回は「「まるで人間の漬け物じゃないか…」伝説の捜査1課長が絶句した昭和58年「練馬一家5人惨殺」 事件現場の“バスタブ”で捜査員が目撃した地獄絵図」】

デイリー新潮編集部

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