「まるで人間の漬け物じゃないか…」伝説の捜査1課長が絶句した昭和58年「練馬一家5人惨殺」 事件現場の“バスタブ”で捜査員が目撃した地獄絵図
壮絶な現場
迅速な初動対応で、重要凶悪事件(殺人)の被疑者を現場で緊急逮捕――理想的な事案だが、その内容が凄まじく、まさに、筆舌に尽くしがたいものだった。
携帯電話などない時代である。警察官は“現場”を現認し、無線で第一報を送ると共に、詳細な報告のために近隣の住宅で電話を借りて、本署(石神井署)に連絡を入れた。その会話の内容をたまたま耳にしてしまった住人は、思わず震えあがったという。
身柄を確保した男は「家族5人を殺した」と自供した。そこで警察官が現場を確認し、五体の遺体があれば供述通りとなる。だが、確かに遺体はあるのだが……。現場に到着した時の前出・田宮氏の証言。
「とにかく捜査員の誰もが押し黙って重苦しい雰囲気でした。到着までに被害者の数が伝えられていないこともあり、妙だなと感じていましたが、浴室に入って、その理由が分かった訳です」(「週刊新潮」2004年9月2日号)
バスタブの中には、バラバラに切り刻まれた頭、腕、足などが無造作に投げ込まれている。どれも衣類は着けていなかった。
〈私の郷里は山形県だが、かつて冬支度として、脚立を使わないと届かないほどの大きな樽(たる)に、白菜や大根を漬け込んだものだが、その樽の蓋(ふた)を開けたときの情景が眼に浮かんだ。
(まるで人間の漬け物じゃないか……)
浴室の入り口には電動挽(ひ)き肉機が備え付けられており、内臓が詰め込まれていた。浴室のタイルの上には、粉砕された内臓が紐(ひも)状を呈して流れ出ていた。(略)室内には紐が張られ、犯人のものと思われる作業衣が干されていたが、それがまた生臭い匂いを四散させていた。(略)その時点では、何人分の死体があるのかわからなかった〉(前掲書より)
長女だけは留守だった
まず、Aさん宅で連絡が取れない家人を確認する。Aさん、B子さん、二女(9)、三女(6)、次男(1歳8か月)。Aさん宅では昭和57年11月、次男と双子で生まれた長男が亡くなっていることが分かり、長女(10)は学校の林間学校に行って留守だったことが判明。三姉妹は同じ小学校に通っていた。
次に遺体の状況である。夫婦と次男は頭を大きく割られており、姉妹には首を絞められた跡が確認できた。
〈一階中央にある広さ十二畳分の応接間と台所はおびただしい血で真っ赤。血に染まった応接間のジュウタンははがされて玄関先に。(Aさんの)首と両手足は切り離されてビニール袋につめられ玄関に置かれていた〉(前記、読売新聞より)
現場で確保された被疑者は東京・四谷で不動産業を営むZ(48)。「土地と家屋の明け渡しを求めていたが、応じなかったから殺した」と動機を話した。そして、こうも言った。
「(Aさんに対しては)骨まで粉々にしてやりたいと思っていたので、スッキリした。奥さんや子供まで殺したのは心残りですまない」
一方、石神井署に設置された特別捜査本部では、署の裏にある車庫に運ばれた遺体の切断面を見て確認しながら、被害者の特定が進められた。蒸し風呂のような車庫で、滴る汗を拭いながらの作業だった。
【第2回は「ノコギリ、包丁、電動肉挽き機…“仕事は順調だった不動産鑑定士”が犯罪史に残る“猟奇殺人”に手を染めた理由 昭和58年「練馬一家5人殺害事件」の裏事情」】




