「まるで人間の漬け物じゃないか…」伝説の捜査1課長が絶句した昭和58年「練馬一家5人惨殺」 事件現場の“バスタブ”で捜査員が目撃した地獄絵図

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「アンガーマネジメント」なる言葉が一般的になったのは平成に入ってからか。たまりにたまった、あるいは一時的な“怒り”をコントロールしたり抑えたりすることができず、とんでもない行動に出てしまう。それが殺人、それも「家族を皆殺しにして」という凶行にまで至ってしまったら……昭和58年6月、東京・練馬区で起きた一家5人惨殺事件の衝撃は凄まじいものだった。(全3回の第1回)

「5人を殺しました」

〈私は幾多の事件現場を踏んできたが、こんなに凄惨(せいさん)で陰湿な事件を経験したことがなかったし、その後もない。勝手口のドアを開けると、流れでてきた生臭い一団の空気に身を包まれ、その臭いは肺腑(はいふ)にまで染み、思わず「うーっ」と立ちすくんだ〉

 第44代・警視庁捜査第一課長を務めた田宮榮一氏(2018年没)の著書『警視庁捜査一課長 特捜本部事件簿』(角川書店)でも紹介されている壮絶な事件が発覚したのは、昭和58年6月28日だった。

〈一家五人を惨殺 練馬 マサカリで殴り体切断〉(朝日新聞)
〈一家五人、惨殺される 練馬 立ち退き、もつれて〉(毎日新聞)
〈一家5人を惨殺 練馬の住宅街 帰宅待ち伏せ次々〉(読売新聞)

 6月29日付の朝刊各紙の一面を飾った記事の見出しである。事件の舞台は東京・練馬区大泉学園町。西武池袋線・大泉学園駅から北東に3キロほど、埼玉県新座市との県境にある閑静な住宅街にある、会社員Aさん(45)の自宅だった。

 6月28日の朝、東京都町田市に住む、Aさんの妻B子さん(41)の実家から、Aさん宅の隣人に電話があった。「連絡が取れない。様子をみてもらえないか」。午前8時半ごろ、隣人が出向いて玄関を開けると、Aさん宅から紺のジャージの上下に身を包んだ男が出てきて、こう言った。

「(Aさんは)昨夜のうちに夜逃げしたんだよ。あんたらも知ってるだろう」

 その報告を聞いた親族は思った。夜逃げなどするはずがない――それもそのはず。日曜日だった同月26日は二女(9)、翌27日はB子さんの誕生日だったこともあり、26日は町田市からB子さんの母と二女の友人が集まり、盛大なお誕生会を開いたばかりだった。おかしいと思ったB子さんの弟ともう一人の親族が、自宅を管轄する警視庁石神井警察署を直接訪れ、事情を説明した。

 石神井署の対応は早かった。午後零時半ごろ、2人の警察官が親族を伴い、Aさん宅に到着。玄関のチャイムを押したが応答はない。勝手口に回ったが、ここも開かない。すると玄関から一人の男が飛び出してきて、停めてあった車に乗り込もうとした。その場からの逃走を企図しているのか、明らかに挙動不審である。

「あなたは誰ですか? この家の人とどんな関係があるんですか? なぜ、ここにいるのか?」

 矢継ぎ早の警察官の職務質問に対し、男はこう答えた。

「この家の家族、5人を殺しました」

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