陰湿な「雅子さまイジメ」は、結婚前から始まっていた…「会見でしゃべりすぎ」「態度が僭越すぎる」…ご成婚から33年 皇后陛下を苦しめた“誹謗中傷”と“陰口”の犯人
美智子さまの時にも
こうした“雑音”は、美智子皇后が昭和34年に皇太子妃として皇室に入った時にもあった。
いや、民間からの初めての妃殿下とあって、陰口という“雑音”つまり陰湿ないじめは、今どころではなかったはずだ。
皇太后が皇后のころ、美智子妃につらくあたったことは良く知られており、入江侍従長の日記にも、
〈皇后さまが今度の御慶事の馬車六頭、御大礼の時の御自身のも四頭だった、憤慨だとかおっしゃったとの事〉(34年3月12日)
といった記述が、散見される。「三大いじめ事件」も有名な話だ。これは――、
皇室会議が開かれた日、正田美智子さんは記者会見に臨む。この時、七分そでの象牙色のドレスに合わせた手袋が、手首とひじの中間までしかなかった。そこで、
「正式の場では、ひじまで隠れる手袋を着けるのが礼儀。その程度の心得もないようではねえ」
と、旧華族や学習院関係者の間で囁かれたというのである。
美智子妃が浩宮さまを出産して三ヶ月ほどたったころ、浩宮さまを抱いた美智子妃の写真が新聞に載った。それに対する陰口が、
「京都以来の習慣で、高貴な身分の女性はわが子を抱いたところを他人に見せたり、写真に撮らせたりしないはず。だから、“粉屋の娘”では務まらないのよ」
さらに、義宮(いまの常陸宮殿下)が聖書やキリスト教に関心を持った時、それが美智子妃の感化であると誤解され、頬がこける原因になったと言われている。
とにかく、日常の服装、振る舞い、親族……あらゆることが陰口の対象にされた。
心配な面が
雅子さんの場合はどうか。先の小坂部氏は、
「そうした美智子皇后の例もあるので、雅子さんが今後、宮中でうまくやっていけるかどうか、心配な点がまったくないと言えません。皇后のころとは時代も違うし、雅子さんは精神的にも強い女性だとは思いますが、学習院の内部にいても、常磐会方面からはいろいろなことが聞こえてきますよ」
実際、ある皇室ウォッチャーによれば、
「婚約会見のことに限らず、雅子さんのコートとか、お母さんの服装とか、いろいろ陰口の対象になっています。ひどいのは、“小和田家は90歳を過ぎた祖父母の面倒を見たくないので、老人ホームに預けている”というものまであります。雅子さんの父親・恒さんの両親が去年から茨城の老人ホームに入っているのは本当ですが、ここはケア付き超高級老人ホーム。老後も自立した生活を送りたいからと、ご自分たちの意志で入所されたそうですよ」
それさえも、いじめに利用されるのでは、たまったものではない。
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雅子皇后は、ご結婚前から、大変な環境の中にいらしたわけである。そして、こうした「いじめ」は、実はご婚約会見のはるか前から始まっていた――。【後編】では、初対面から7年もかかるなど、雅子さまのご結婚が遅れた理由と、宮内庁が犯した誤りについて記している。
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