スノーボード「小野光希」がミラノ五輪でメダリストになれた理由 日本勢のメダルラッシュで「一気に集中力が高まりました」
2月に行われたミラノ・コルティナ五輪のメダルラッシュは記憶に新しいが、その中でも、合計9個のメダルを手にしたスノーボード陣の活躍は、とりわけ目覚ましいものだった。女子ハーフパイプで銅メダルを手にした小野光希(おの・みつき=22=)選手は、高いジャンプを武器に活躍を見せる一方、晴れてメダリストとなった今年3月には早稲田大学スポーツ科学部を卒業し、エネルギー開発企業・INPEXのアスリート社員として、新生活をスタートさせた。挫折を乗り越え、メダルを手にした小野選手に、北京大会からの4年間を振り返ってもらった。【ライター・白鳥純一】(全2回のうち第2回)
【写真】文武両道を貫き「ミラノ五輪銅メダリスト」に 自らの経験を語る小野光希選手の姿
初の五輪は「気持ちが整わない中で挑んでしまった」
2004年生まれの小野選手は、中学1年だった2017年に開催されたBURTON US OPENジュニアジャム(アメリカ)で海外デビューを飾ると、翌年には同大会を制覇。ジュニア選手権の連覇(2018〜2019年)や、ユースオリンピック(2020年)も制して、若手の注目株として注目を集めると、2020年からはシニアの大会に本格的に参戦。得意とする高さのあるエアを生かしたランで、W杯・Laax Open(スイス)で2年連続の2位に入った実績などが認められ、17歳で北京五輪出場を果たす。
「メダルしか見えていなかったので、自ずと思いは先走り、滑りのリズムを崩してしまった」
そう振り返る初の大舞台は、予選で「練習以上の滑り」を披露し、2位で本戦通過を決めるも、決勝では高難度の大技「キャブ1080(3回転)」で転倒。試合後に「もっと強くなりたい」と涙を流した小野選手は、9位で大会を去った。
「本当に悔しかったですけど、ミスもありましたし。『仕方ないよな』と納得している部分もあって。今振り返ると、きちんと気持ちが整わない中でランに臨んでしまっていたことが反省点かなと感じます」
技のバラつきが少しずつ埋まってきた
自身のことを「普段はたくさん食べて、たくさん寝て、2日くらい過ごせば自ずと気持ちを切り替えられるタイプ」と話す小野選手だが、初の五輪挑戦で味わった苦い経験は、やがて絶望に似た感情へと変わり、心に重くのしかかった。
そのショックは大きく、一時は早稲田大学進学と同時に、「このまま競技を退こう……」と考えたこともあったほどだったそう。
だが、さまざまな競技に打ち込む学生と共に、スポーツコーチングを学ぶ日々の中で
英気を養い、ほどなく4年後に向けたリベンジの決意を固めた小野選手は、「持ち味の高さと、多彩なエアを生かしたダイナミックな滑り」の修得を目指して、再び練習に取り組んだ。
「以前は技ごとに高さのバラつきがありましたが、それが少しずつ埋まってきたような感覚があります」」
自身の滑りの変化をそう表現する小野選手は、ミラノ・コルティナ五輪に向けて始動する2022-23年シーズンで、W杯初優勝を含む3連勝を記録し、年間勝者に。翌シーズンも2年連続で年間王者を手にするなど、その強さに一段と磨きをかけた。
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