「正々堂々と身勝手な姿」こそ魅力 卒寿を超えて人気作家になった「佐藤愛子さん」の“愛子節”
物故者を取り上げてその生涯を振り返るコラム「墓碑銘」は、開始から半世紀となる週刊新潮の超長期連載。今回は4月29日に亡くなった佐藤愛子さんを取り上げる。
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「私はこう考える」
1969年に直木賞を受賞した佐藤愛子さんは卒寿を超えてから再び注目を浴びた。2016年に出版したエッセイ『九十歳。何がめでたい』(小学館)が100万部を突破するベストセラーとなったのだ。
デパートのトイレで水の流し方が分からずひもを引くと警報装置だった。そんな体験などを通じて技術の過剰な進歩への怒りや、日常生活で遭遇する“いちいちうるせえ”と感じる理不尽を率直につづり、共感を呼ぶ。
同年、本誌(「週刊新潮」)の取材に〈売れ行きを気にするタイプではありませんし、人からの評判も気にならない。(中略)どうして売れているのかわからないんです。というのも、私としてはずっと同じ主張を繰り返しているだけですから〉と語り、翌17年「新潮45」で〈私は世の中を良くしようなんて思ったことはないんですよ。そんなこと思ったって無駄ですからね。ただ「私はこう考える」というだけ。何か役立つことを書いてるでなし、「皆さん、こうしようじゃありませんか」と呼びかけるでなし〉と述べた。
正々堂々と身勝手な姿こそ佐藤さんの魅力だった。
迫力と普遍性
1923年、大阪生まれ。父は少年小説の大家、佐藤紅緑で詩人のサトウハチローは異母兄だ。戦時中に結婚するが、夫は病の治療でモルヒネ中毒に。夫の他界前から小説を書き始め、50年、北杜夫らがいる同人誌「文藝首都」に参加した。
同人誌仲間の田畑麦彦と再婚、60年に娘を授かり小説も注目を浴び始めた一方、夫は事業に手を出し失敗。多額の借金を肩代わりし、執筆ばかりでなくテレビ出演に講演にと働き続けた。この経験を題材にした『戦いすんで日が暮れて』で直木賞を受賞する。時に45歳。
はっきりものを言う女傑と称賛され、人気作家に。夫の借金から逃げず精神力が鍛えられたと考えていた。
作家の阿刀田高さんは、
「力強い女性でありながら、心根が優しく良識がありました。悪意や人をおとしめる部分がなくたとえ怒りでもユーモアを感じます。私より10歳以上年上で敬愛するお姉様のような存在でした。作品に庶民の生活感覚が現れていて、そこに迫力と普遍性がありました」
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