「天皇賞」のルーツは明治天皇に…高校時代に“馬術部主将”を務められた「上皇陛下」から「愛子さま」へと繋がる「皇室と馬」の深い関係
日本馬術連盟が1946年の発足から5月で80周年を迎えた。連盟の名誉総裁は常陸宮妃華子さまが務められているが、上皇陛下は高校時代に馬術部のキャプテンをされるなど、皇室と馬術の縁は深い。動物好きとして知られる天皇家の長女・愛子さまは、他界した愛犬の「由莉」をかわいがり、現在は猫の「みー」と「セブン」を愛おしんでいるが、実は馬のこともこよなく愛されてきた。移動手段である一方で、古(いにしえ)から日本人と心を通わせてきた馬と皇室の絆を、奇しくも午(うま)年に迎えたこの節目の機会に、ひも解いてみたい。
【写真7枚】当時8歳「愛子さま」と子猫のふれあい、乳牛に向けられた「雅子さま」の柔らかいまなざし…“動物愛”あふれる天皇ご一家
明治天皇が始めた天覧競馬
そもそも西洋馬術と和式馬術(古式馬術)を強く結びつけたのは、明治天皇だ。明治政府樹立2年前の1866(慶応2)年、横浜の根岸に日本初の競馬場が完成。翌年1月、この根岸競馬場で、日本で初めて競馬が開催された。また、1880(明治13)年には日本レースクラブ主催の競馬が初めて開かれ、明治天皇から優勝馬主に花瓶などの賞品が下賜されている。
これが天皇賞のルーツとなり、翌年の春には初の天覧競馬が実施された。また1905(明治38)年には、天皇賞の前身となったエンペラーズカップが行われている。その後、「鹿鳴館外交」と呼ばれた明治政府の外交政策の舞台となった競馬場は、日本の政財界と欧米の要人が集まる華やかな社交場となり、明治天皇の行幸は根岸をはじめ、全国各地の競馬施設や馬の産地などで50回以上を数えた。
一方で明治天皇は、日本の伝統的な馬術文化の保存にも尽力した。宮内庁の前身となる宮内省が和式馬術(古式馬術)の保護に乗り出したのは、明治天皇の意向によるもので、その背景には明治天皇の侍従を務めた山岡鉄舟の存在があった。
幕末の志士として知られる山岡は、急速に西洋化が進む中で日本の伝統が失われることを危惧。歴史ある武家の文化や精神を、後世に継承し保存するため保護すべきと明治天皇に進言した。現在は宮内庁の車馬課主馬班によって、馬上武芸の継承が行われている所以はここにある。
記録として文書に残る歴代天皇と和式馬術のスタートライン(起点)は、680年9月9日、奈良県御所市にある長柄杜(現・長柄神社)に天武天皇が行幸した際、馬を集めて行わせたと『日本書紀』に記されている馬的射だ。馬的射は流鏑馬(やぶさめ)の原型とされる。
上皇、上皇后両陛下は在位中の2015(平成27)年5月30日、皇居内の埒馬場(らちばば)で開かれた、上皇陛下の傘寿を記念した古式馬術をご覧になっている。披露されたのは打毬(だきゅう)と母衣引(ほろひき)。打毬は馬に乗った団体戦で、2組に分かれて網の付いた杖(つえ)で玉(毬)をすくい、ゴールに投げ入れる競技だ。『続日本後紀』には、「承和元(834)年、仁明天皇が武徳殿の庭で四衛府の武者に打毬を行わせらる」との記述も残っている。
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