「ポスト松田聖子」松本典子はなぜ、アイドル戦線から消えたのか 中山美穂、南野陽子ら「1985年デビュー組」の苦悩

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アイドル豊作の年

 1985年はアイドル豊作の年と言われ、中山美穂、南野陽子、斉藤由貴、浅香唯、本田美奈子など各社が熾烈な争いを繰り広げていた。

「浅香唯ちゃんや南野陽子ちゃんのラジオにも出させていただきましたね。きっとスタッフさんやテレビの前のみなさんは、ライバル同士みたいなイメージを持っていたかもしれません。でも、あの頃は歌番組や地方でのお祭り、水泳大会とかいろんな場所で一緒になる機会も多くて、みんなでバス移動とかになると車内はとってもにぎやかで楽しかったですよ」

 その年、松本は第27回日本レコード大賞新人賞を始め、第16回日本歌謡大賞放送音楽新人賞、'85FNS歌謡祭・音楽大賞優秀新人賞、第11回日本テレビ音楽祭新人奨励賞などの数々の新人賞を受賞した。しかし、2年目に入るとライバルたちが次々と頭角を現し、松本の人気にも陰りが出てきた。

「賞を取ったというよりも、やっぱりこう、色々恵まれてやってこれたんだと思います。1年目は、多分、自分のことで精一杯で賞レースに勝たなきゃなんて考える余裕もなく、とにかく自分がもっと頑張らなくちゃと思いました。

 2年目になると、他の人たちは歌手としてトップを目指す人、女優さんにシフトする人とか方向性が変わってくるんですけど、『私はどうしたらいいんだろう?』って悩み始めました。レコード会社でも次の新人の方が出てきて、周りのスタッフさんもどんどん少なくなっていきました」

 今まで寝る時間さえなかったのが、急に何もない日も少しずつ増えていき、途方に暮れた。

「辛かったですね。今みたいに携帯電話があったらすぐにでも親に電話していましたが、それもできません。辛い気持ちを誰にも言えず、布団をかぶって泣いたり、目的もないのに中央線で青梅まで行って駅でボーっとした後に家に戻ったりしたこともありました。自分はこれからどうやっていけばいいのか光を見出せませんでしたね」

 そして、芸能生活3年目を迎えた1987年に志村けんさんとの出会いにより、大きな転機が訪れた。

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 第2回【「水着やレオタードのコントはちょっと恥ずかしくて…」松本典子、楽屋で直談判 志村けんさんの“答え”とは】では、松本が志村けんさんとの思い出を語っている。

松本典子(まつもと・のりこ)
1968年1月30日、群馬県出身。84年7月、「第5回ミス・セブンティーンコンテスト」で網浜直子とダブル優勝を果たし、芸能界入り。85年3月21日、1stシングル「春色のエアメール」で歌手デビュー。87年から92年まで「志村けんのだいじょうぶだぁ」(フジテレビ系)にレギュラー出演し、コメディエンヌとして人気を博した。92年、プロ野球選手の笘篠賢治氏と結婚し、3人の息子をもうける。結婚後、長らく芸能活動を休止していたが、2025年に芸能活動を再開。現在は同期の芳本美代子、網浜直子と3人でユニットID85を結成し、ライブ活動を行う傍ら、子育て支援員として保育園にも勤めている。

福嶋 剛
ライター。1971年生まれ。TV局映像編集、ロケーションコーディネーター、音楽サイトの編集長、ニュースサイトの記者などを経験。ベテランアーティストや元アイドルのインタビューをはじめ、イベントの進行役などエンタメを中心に活動中。

デイリー新潮編集部

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