「ポスト松田聖子」松本典子はなぜ、アイドル戦線から消えたのか 中山美穂、南野陽子ら「1985年デビュー組」の苦悩
豪華な作家陣
松本の曲は毎回、豪華な作家陣を起用することでも注目が集まった。サードシングルの「さよならと言われて」では作曲を呉田軽穂(松任谷由実)、アレンジを松任谷正隆が担当し、さらに6枚目「儀式(セレモニー)」は中島みゆきが作詞作曲を手がけた。他にも来生たかお、尾崎亜美、矢野顕子、4枚目のシングル「虹色スキャンダル」では、デビュー前の久保田利伸が作曲とコーラスを担当している。
「よく覚えています。まだ久保田さんがデビューされる前だったと思うんですけど、初めてお会いして、デモテープを用意していただきました。今まで歌ったことのない曲調で、最初は心配でした。2年目以降はスタッフのみなさんが、私のイメージを変えようとしてくださっていたんだと思うんですけど、私自身、対応しきれなかったのかなって。
今でも覚えているのは作詞家の麻生圭子さんとの思い出です。麻生さんが作詞した曲のレコーディングの時は、いつもスタジオに来てくださって、私の横で優しく歌のアドバイスをしてくれました。私が歌いにくいところを見つけると、その場で言葉を変えて歌いやすくしていただいたり、今振り返っても本当にあの頃は恵まれていたなって思います」
新曲が完成すると北海道から九州まで全国を飛び回るキャンペーンが始まった。
「本当に忙しかったのですね。朝、例えば大阪とかにいて、お昼に九州に行って、で、また東京に戻ってきて空港で荷物を交換して、そこから北海道に入ったとか、そういうことはよくありました。地方に行ったら、テレビからラジオまで“生放送ジャック”というのをやって、『明日キャンペーンがあります』と宣伝して、レコード店を回るんです。
スケジュール帳を毎回コピーしてもらって、自分が今どこで何をしているのかをちゃんと把握できるようにしていました。キャンペーンではいつも同じセリフばかり言っていたので、やっていくうちに『自分はどこにいるんだろう』って思うこともありましたね。
ホテルに戻ると翌日のキャンペーン用の色紙が山積みで置かれていました。キャンペーン先の景色を見たり、おいしいものを食べる暇もなく、ずっと色紙に向かってサインを書いていました。機械みたいにならないように心を込めて書くことだけは、頑張ってやっていたと思います」
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