東大A判定の神童がなぜ“炎上上等”のグラドルに 中学で嫌われ、勝手にアイコラを作られ…「かわいかったからかな」反骨の原点

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 かつて「神童」と呼ばれアナウンサーを目指していた少女が、なぜ“炎上上等”のグラビアアイドルになったのか――。グラビアだけでなく、報道番組「ABEMA Prime」にコメンテーターとして出演する麻倉瑞季は、SNSやnoteでの歯に衣着せぬ発信も話題を呼んでいる。小学生で東大判定Aを叩き出し、高校では平和活動や社会活動にも没頭。コロナ禍での挫折やミスマガ受賞など、その濃すぎる半生を聞いた。

――今回は麻倉さんの半生をお聞きしたいと思います。

麻倉:半生……そんな大したことないですけど。ただ、そこらの23歳よりは面白い人生を送ってきたとは思います(笑)。

――長崎県諫早市の出身ですが、幼い頃はどんな子だったんですか。

麻倉:2歳から公文をやってましたね。親はいろいろな習い事を私にやらせたんですが、その中で「ここが一番楽しそう」って言ったのが公文だったらしいです。親が、医者になって欲しそうだったので「医者になりたい」と言う子でした。そうしたら喜ぶので。「お医者さんになって、おばあちゃんがご病気になった時に、助けてあげられるようになるのー!」って言ってましたが、打算でしたね(笑)。

――勉強はすごくできたそうですね。

麻倉:小学校で「能力開発センター」っていう塾があったんですけど、テストを受けると400点満点中400点ばかりで、四谷大塚のテストを受けたら東大判定がAでした(笑)。全国で何番みたいな感じでした。子供の頃、「ドラえもん」とか「サザエさん」とか見た記憶がないですもん。火水金が公文で、土曜日が能力開発センター。暇な日は自習に行ったりと遊んだ記憶がないです。

――その様子だと、みんな周りはもう東大に行くと思っちゃう。

麻倉:神童って言われてました。

“アイコラ”を作られ…

――中学校は中高一貫の進学校に進みますね。どんな風に過ごしていたんですか。

麻倉:なんか、入学した時から嫌われていて。

――えっ、なんでですか?

麻倉:かわいかったからかな。

――ああ(笑)。そう書いときますね。

麻倉:でも目立っていたとは思います。中学校に入る時点で「D」あったんです。あと男子とも仲が良かったので。男子って性の目覚めってそのくらいの年代じゃないですか。うちの中学校には伝統的に男子しか入れないグループLINEがあって、そこで私の顔とその時全盛期だった上原亜衣さんの首から下を合体した“アイコラ”がすごく流行していたみたいで。その噂を聞いた女の子は私のことをよく思わないから「嫌い」「ビッチ」みたいに呼ばれてました。

――アイコラの被害者なのに、酷い......。部活動はしていたんですか。

麻倉:中高、放送部です。中学の時に「NHK杯全国中学校放送コンテスト」アナウンス部門で長崎1位になったことで、アナウンサーになろうと思いました。得意なこと以外はやりたくなかったです。あと中学の時点でOLには絶対向いてないとも思ってたんです。パソコンの前にずっと座っている自分を想像できなすぎて。

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