「最近はうつろな感じで、あいさつしても何の反応もなかった」 21人を死傷させた運転手 近隣住民が目撃していた“事件前の異変”【磐越道バス事故】

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「居眠りしているのではと疑うぐらい、ひやひやする場面も」

 そんな不始末を重ねる本人は、地元では名の知れた存在だった。

「若山さんは青森県出身で、学生時代は早大競走部に所属。円盤投げの選手でした」

 とは、さる陸上競技関係者。早大では体育学を修め、教員免許を取得していた。

「若山さんが指導した新潟市の東京学館新潟高校陸上部は、2006年に全国高校駅伝初出場を果たし、以降は常連校となりました。またその後は胎内市にある開志国際高校に移り、18年には、やはり監督として同駅伝への初出場を成し遂げています」(同)

 10年には、東京学館新潟高の女子部員がアジアジュニア選手権に出場した際、小千谷市の広報誌にも登場。ここで若山容疑者は生徒が住む「寮の管理人」と紹介されていた。もっとも、開志国際高で教えを受けた男性が明かすには、

「逮捕されても不思議ではないと思いました。私も監督の運転するマイクロバスで試合や合宿に行ったことがありますが、当時から運転が危なっかしかった。まさか居眠りしているのではと疑うぐらい、ひやひやする場面もありました」

「最近はうつろな感じで、あいさつしても何の反応もなかった」

 こうした“素地”が災いしたのか、築き上げた名声は徐々に揺らいでいく。先の陸上関係者は、

「もともと若山さんは、新潟市内に一軒家を新築し、家族と住んでいました。その後は胎内市内の開志国際高の寮に住み込み、退職前に現在の住まいに移ったと聞いています」

 妻とはその間に離婚したといい、22年度からは胎内市の会計年度任用職員として3年間勤務。時給1100円ほどで月に数回、農協のイベントなどの際にマイクロバスの運転を担ってきた。現在の住み処(すみか)は、土蔵が併設されている民家である。

「数年前に越してきた時から一人暮らしでした。最近はうつろな感じで、あいさつしても何の反応もなかった。いつも猫背で両手を垂らしながら、たどたどしく小幅で歩く。傘やスキーのストックなんかをつえ代わりにしていました」

 とは、別の近隣住民。

「回覧板を回してもあの家で止まってしまうから、みんな困っていて、時には若山さんを飛ばすこともありました。家の中は散らかり放題で庭の草も伸びっ放し。手入れなんか全くできていなかった。それでも、よく車で買い物に出かけていたから、あんな状態で運転なんかできるのかと思っていたのです」(同)

 後編では、事故前夜に市内の居酒屋で目撃されていた、若山容疑者の「異様な姿」について報じる。

週刊新潮 2026年5月21日号掲載

インシデント拡大版「磐越道バス事故 運転手の『孤独な蔵生活』と『醜い責任転嫁』」より

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