「次に狙うのは横綱」2年ぶり大関復帰の「霧島」 親孝行で角界入りした「不屈の力士」を奮い立たせる愛しき家族【令和の名力士たち】

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いつか戻れると信じて

 さて、2026年春場所の霧島は、2日目に美ノ海に敗れたものの、13日目まで1敗で優勝戦線をリードし続けた。後続は3敗の横綱・豊昇龍、平幕・琴勝峰の2人だ。

 14日目は、これまで苦手にしていた新大関・安青錦戦。すでに琴勝峰が4敗を喫していたため、「勝てば優勝が決まる」という大一番で、霧島は安青錦に低い体勢で頭をつけられ、下手投げで崩されて敗戦。

 ところが、勝負ごとは最後までわからないものだ。

 結びの豊昇龍―琴櫻戦で豊昇龍が敗れたため、その時点で霧島の3回目の優勝が決まった。負け残りで、土俵下の控えでこの勝負を見つめていた霧島も、呆然とした顔を見せた。

 優勝を決めた後の千秋楽の琴櫻戦で敗れ、「有終の美」を飾ることはできなかったが、12勝を挙げたことで大関昇進に適う3場所34勝となった霧島。

 表彰式恒例の優勝インタビューで、

「本当にうれしい。(優勝賜杯は)久しぶりなので、重かったです(笑)」

 と、喜びを語っていると、インタビュアーから、

「今、(霧島の)大関昇進に向けて、臨時理事会を招集したとの情報が入りました」

 と、事実上の大関昇進決定を告げられた。

「(大関から落ちた)2年は長かった。でもいつか戻れると信じて、諦めずにがんばりました」

 と、満面の笑みを見せた霧島。

 支度部屋に戻って、後援者や家族との「バンザイ」での主役は、長女・アヤゴーちゃんだった。前回の優勝の時は、たくさんの人に囲まれて恥ずかしさのあまり、うまく「バンザイ」ができなかったアヤゴーちゃん。「次にパパが優勝する時のために」と、練習したバンザイは、霧島の優勝に彩りを添えた。

陸奥部屋で4日間の体験入門

 モンゴルの首都・ウランバートルから東に600キロほど離れたドルノド県で生まれた霧島は、少年時代を遊牧民として育った。

 1日に何度も井戸から水を汲んだり、父親の仕事の手伝いで何十キロも馬に乗ったりする生活で、ハグワスレン少年(本名)の足腰は自然に鍛えられていった。やがて、バスケットボールやモンゴル相撲で頭角を現したハグワスレンは、スポーツの才能を生かすために、首都ウランバートルの高校に進学する。

 アブラカ高校時代は、柔道やモンゴル相撲に打ち込んでいたのだが、アブラカ体育大に進んだ頃、陸奥部屋(当時)の後援者を通じて、日本行きのチャンスを得た。

「僕を含めて5人が選ばれたんです。でも、その時は力士になるというより、なんとなく日本に行ったという感じでしたね(笑)」

 ハグワスレンら5人の少年は、陸奥部屋で4日間の体験入門を終えて、モンゴルに帰国した。

 当時の陸奥親方(元大関・霧島)は、自分の部屋に外国出身力士を入門させる意向はなかった。若手親方ならまだしも、50代後半の自分は、言葉や習慣も異なる若者を力士として育てられないのではないか……と思っていたからだ。ただ、ハグワスレンのバランスの取れた体、相撲センス、「親孝行をしたい」と語るまっすぐな瞳を見た陸奥親方は、しばらく経ってから入門させることを決断する。

「ただし、私の言うことが聞けなければ、辞めてもらう」

 陸奥親方は厳しくこう言い放った。

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